去年から続けて読んで面白かった本

去年から続けて読んで面白かった本

 「共通語の世界史」(クロード・アジェージュ著、糟谷啓介・佐野直子訳)「人類の起源」(篠田謙一著)、「家畜化という進化」(リチャード・C・フランシス著、西尾香苗訳)について。

 言葉の歴史、特に英語が何故世界共通語になっていったかは以前に紹介したが、「共通語の世界史」は、主にヨーロッパの言語がどのように変遷し、その範囲を広げたり、確立していったか、そのかげで消えていった言語等についても詳しく述べている。ヨーロッパは言語による自己主張もある一方で、言語多様性を守ろうともしている態度も示している。

 それはローマ帝国がヨーロッパを統一した歴史があるからこそなのだと思う。カエサルがガリア戦記を書いたことでフランス、現在のベルギーやオランダの北部ヨーロッパ、イギリスなどの記録された歴史は始まっている。その頃のライン川より東や北部にはカエサルも手こずり、ゲルマン人を狂暴な森の人のように表現していたと記憶している。その後ローマ帝国が滅んだあとでも中世でドイツは神聖ローマ帝国と称した時代があったのは、過去へのあこがれの表れではないかと思う。英語を共通語として認めつつもそれぞれの国がその言語に誇りを持ち尊重しあうという文化が続いているのだと思う。

 内容はラテン語、カスティーリャ語(スペイン語)、イタリヤ語、エスペラント語、から始まり、ヨーロッパと英語、ドイツ語、フランス語、その他の諸言語、民族と歴史とともに成長してきたバルト海沿岸の言語、北欧の言語、ロシア語その他の少数の言語が紹介されている。もちろん主な言語の方言ともいえる言語も長い歴史から成り立ちそれぞれの言語として成立しており、それらも紹介されている。

 イギリスがインドを植民地にしていた時代にインド(北部インド)の言葉がヨーロッパの言語と近いのを発見し、今日では広くインド・ヨーロッパ語と称されるが、ドイツでは今でもインド・ゲルマン語と言う人々がいるそうである。バルト海に添い、ポーランド、デンマーク、スウェーデン、東はオーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スイスの一部もドイツ語圏である。ゲルマン語はその中にあったスラブ語のほとんどを抹殺してしまった。近代では科学、医学、数学、法律、文学の世界でも知識・学術書はドイツがリードした。

 フランス語はほかのどの言葉より読むにも聞くにも心地よいと言われる。中世には、ヨーロッパの王室や貴族は婚姻関係を築くが、スペインでも、イギリスでも、北部ヨーロッパやオーストリアの宮廷での会話は、フランス語だったそうである。以前から遠い国に嫁いでいって皆苦労したのでは思ったのだが、実はフランス語だったというのは新たな発見だった。

 ヨーロッパはいつの時代にも侵略しあい、近代ではあんなに激しく争い戦争したのに、今はそれを忘れたかのようにEUとしてお互いを尊重しあう関係になって世界のモラルをリードしていることはすばらしいと思う。それにひきかえ日本や韓国、中国は長い歴史のなかで、やはり侵略の繰り返しがありながら、現在もずーっと根に持ちながらの関係が続いているのは残念な事である。近代における経済格差がそれを続けざるを得ない状況を作り出しているのかもしれない。でも日本だって戦後の焼野原からなんとか自力で再生し生き延びてきたことをや、戦争自体もアジアの植民地化を解放し、近代化を促進させるための側面もあったことを考えると日本の底力を改めて感じる。

 

 「人類の起源」は2021年時点での最新情報に基づいた資料で書かれている。何故このことが大事かというと日進月歩の新発見というよりは新解析による最新情報で人類の過去が解ってくるからである。文字の無い時代の歴史は特に考古学や自然人類学では従来は骨の発掘によるものが唯一だった。それを炭素年代測定法によって年代を推定することができるようになって、〇〇万年〇〇百万年ということが解ってきた経緯がある。人類は猿人、原人、旧人、新人と大きな段階で進んできたと考えられている。この新人がホモ・サピエンスである。これが現在では、ミトコンドリアⅮNA分析、Y染色体のDNA分析により、それぞれ母から娘へ、父から息子へと受け継がれることに着目し、その先祖を計算上特定することで、現人類のイブ、アダムの誕生時期を推定したものである。それによるとそれぞれ9万5000年~6万2000年、アダムでは7万5000年以降、アフリカ人以外の集団では5万5000年~4万7000年前と推定されている。この値は突然変異がどの程度の時間で起こるか、一世代を何年と見積もるかで幅が出るという。出アフリカはおおよそ6万~5万年と考えられるそうである。現在の人類はそこから世界へと広がっていったと考えられている。もちろんその前の最初の類人類は2百万年位前から出アフリカを果たし世界へ移動していたとされている。

 人類の骨の発掘から、旧人といわれるネアンデルタール人とデニソワ人は43万年前に別れたとされている。が一部は比較的近い時代(1万年位前)まで生存していて、現在の我々人類との交雑が何度かなされていてDNAにもほんのわずかだが残っているらしい。ネアンデルタール人はホモ・サピエンスが滅ぼしたといわれている。最初に出会った頃は簡単に負けてしまったが、その後ホモ・サピエンスの集団戦闘能力、または持ち込んだ細菌によって簡単に駆逐されていったらしい。デニソワ人は完全な骨格は発見されていない。ロシアのモンゴルとの国境付近にあるデニソワ洞窟にあったネアンデルタール人の骨の一部がDNA解析によって、別なものとして認定されたものである。

 本は、アフリカ内部での人類の移動、農耕民と牧畜民、ヨーロッパへの進出、現代に続くヨーロッパ人の遺伝子、アジア集団、南・東南アジア集団、東アジア集団、日本人のDNA分析上の位置などが述べられている。著者も書いているが、新たな発見、解析によってまたこれらの歴史が書き換えられていくだろうとしている。

 私はDNA解析によるアダムとイブはあくまでも計算上のことで絶対ではないような気がする。誤差を除いてもまた別な測定方法が出現すれば別な推定も可能になるのではなかろうか。このような計算上の推定値によると豊島区は人口が0になる時が来るし、この間まで2番目に多いとされていた佐藤姓も500年後だったかには日本人全員になるという計算も出てくることになる。ビッグバンも宇宙の広がる速度の計算から逆算して生まれたものだ。何度も修正されたが現在は138億年とされている。これも最近のジェームズ・ウェップ望遠鏡の成果で書き替える必要、またはビッグバンそのものが無かった説まで出てきている。全てが噓ではないと思うが付加条件や新たな発見次第では計算には違いが出てくると思う。

 

 「家畜化という進化」は、「人類の起源」やその前の「銃・病原菌・鉄」にあった家畜、牧畜が人類の進化に大きな影響を与えていることに興味を覚えていたので引っかかった本だ。人類は作物の栽培、そして家畜の飼育によって安定した食料を確保できるようになった。そのおかげで集団を大きく増やしてくることが可能になり、今日の文明へと進化してきた。その家畜化されている動物を家畜だけでなくペットも含めて解説している。

 項目は、キツネ、イヌ、ネコ、ブタ、ウシ、ヒツジ・ヤギ、トナカイ、ラクダ、ウマ、齧歯類、そして人間となっている。(ニワトリやミツバチなどの哺乳類以外は扱っていない)

 最初の章のキツネは、キツネを利用した実験を紹介して家畜化の分析や解説を試みたもので非常に興味深い。モスクワで遺伝学者だったベリャーエフが、当時メンデルが発表した遺伝学説は認められつつあったが、ソ連ではブルジョアや反動的な世界観と結び付けられその学説を否認するように命じられたが、それを拒否したため、シベリアに追放された不遇の科学者の実験である。毛皮を取るために養殖されていたキツネに対する実験で、数千匹の中から従順な固体を選び、人間が近づいても恐れたり攻撃を示さないという形質のみで選び出し、雄5%、雌は20%をかけ合わせ世代交代を繰り返した。第4世代になると世話係が近づくと尾を振るものが現れた。第6世代では、一部の子ギツネは積極的に人間に接触したがった。世話をする人の顔をなめさえした。これらの子ギツネを「エリート」のカテゴリーに入れた。第13世代ではそれが49%に達した。その後すべての子ギツネはエリートカテゴリーになり、ペットとして飼えるほどになった。イヌよりは独立心が強いが、ネコよりは人間の指示に従うという状態だったそうである。最も驚異的なのは、このキツネたちがしぐさや目の動きなどを通して人間の意図を読み取ることだという。さらに身体的な変化も驚くべきものがある。普通ギンギツネの被毛は銀色なのが、茶色の斑点が混じるものが現れ始めた。黒地に白いまだら模様になるものもあった。家畜のウマやウシ、ヤギなどに見られる額に白班のあるものも現れ、しかもそれが増えていった。長毛のものも現れた。ほかにも目覚ましい変化がみられた。たれ耳や巻き毛、さらには骨格にも変化が現れ、足の骨と尾の骨が短くなった。鼻づらも短くなり、頭骨の横幅が広がった。また生理的な変化も現れた。繁殖も野生では年に1回だったのが、繁殖期が長くなり、2回繁殖するものも現れた。家畜化の特徴はセットになっているというベリャーエフの見解は強力な証拠を得たとしている。

 これらの変化は他の家畜化された動物にも共通する要素を多分に含んでいる。人間にとって都合のよいように、そして家畜化された動物にとっても都合のよいようにお互いに近づいていったことが想定される。特にイヌの章では初期の人間に接してきた狼の中から同じようなことを経てイヌになっていっただろうということが様々な例を交えて述べられている。しかもイヌはこれらの動物の中で一番狼から遠く離れた動物に、さらにはペットになってしまったものもいる。それにはこの過程で突然変異や、様々のホルモンの変化などあって詳しい説明がなされている。祖先には幼体のみに見られた形質が成体になっても維持されることをが「ペトモルフォーシス」と言い三つのタイプ、プロジェネシス(発生、発達の終了時期が早まる)、ネオトニー(発生、発達速度が遅くなる)、後転移(発生、発達の開始時期が遅れる)がある。祖先には存在しなかった新たな形質が成体になって出現することを「ペラモルフォーシス」と言い、三つのタイプ、ハイパモルフォーシス(発生、発達の終了速度が遅れる)、加速(発生発達速度が早くなる)、前転移(発生、発達の開始時期が早まる)がある。この他にも様々な専門用語が出てくるがそのような進化を続けてきた分野なのだと理解した。特にイヌに関しては20世紀になってから人為的に改良されて作られてきた種類が多く、それに伴った近親交換による弊害を持った種類も多いことが述べられている。またそれぞれの家畜の原種がどのようなものであったかや既に絶滅してしまったものもいる。

 この中で述べられていることを適用させるなら、ネオトニー、ハイパモルフォーシスは東洋人に当てはまるのではないだろうか。キツネやイヌの章にもあったように頭骨が横に広がり、鼻が後退してくるという変化は家畜化の過程での共通の進化だとすれば、人間にも適用するのではないだろうかと思ってしまった。大人になっても幼さを残す顔もそうではないか。しかし進化とはそれだけではない文化上の側面もある。でも攻撃性は現人類共通の進化しない要素なのかもしれない。また家畜を飼うようになった初期には動物の持つ細菌等に負けてしまった人類もいたようだ。ウシの章で触れているが、今でもミルク中毒を起こすのは適応できない人間がいることを示している。

 なかなかに感心させられ、新たな知見を得ることができた。本当に面白い世界だった。著者はもちろん訳者も素晴らしく、読みやすかった。訳者は理学系、生物系が専門の方なので解りやすかった。最後の章は人新生となっており、それが気になり、その後、「人新生の資本論」という本を読んだ。これは私には響かなかった。確かにそのような脱成長経済というのは分かるけど、夢が感じられない。「人新生」(アントロポセン)(人類の時代)という言葉はそもそも、地質年代を表す現在以降を表す用語としてつくられたものである。それが一人歩きをし、様々な分野で使用されているらしい。

 

 さらにその後「シンギュラリティ―は近い」という本を読んだ。これは(人類が生命を超越するとき)とサブタイトルがあるように2045年にはテクノロジーや特にコンピュータの現在までの指数関数的な能力とコストの成長から人間の脳を追い越すとされている「技術的特異点」(シンギュラリティ―)を予想し、内容を詳しく解説したものだ。著者はGoogle社でAIの開発を進めている人で、発明家、思想家、フューチャリスト、人口知能の世界的権威者である。コンピューティングはもうすでに人間の脳の記憶容量と計算能力を上回っているのだが、その先には人間の知能の10億倍になってきて、今のような長方形の箱のような姿ではなくなり、あらゆる環境を通してどこにでも存在するようになるとしている。非生物的思考へ加速してゆき、マイクロ・ナノテクノロジーと合体し、人間はこれらと一体化していく可能性を描いている。私が高校生の頃思った人類の進化が、今は現実になりしかも加速させられていくというものだ。恐ろしくもあり、わくわくもする世界だ。しかしこれも全ての人々がそうなる訳ではないことは当然予測される。そこに経済がある限り。そこに人類の欲望と貧富の差がある限り。そういう意味では「人新生の資本論」ももっともだと思わせるところもあるかもしれないと思った。