Pure-Nの最初の発表・フェイスブックから

2018年5月19日~6/11までのフェイスブックからの採録

『Pure-N』の最初の発表について:以下は2018年5/19日から6/11日までフェイスブックに発表したものである。一種の「いろは歌」として考えたが、一応はできたものの、できたものはやはり最後が苦しくなり、また全部を発表するのもいかがなものかと思い、途中で辞めた経緯がある。その後のブログとダブった内容もあり長くなるが、そのまま載せることにした。

 

 

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Pure-N」です。

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タイプフェイスとはよくいった言葉だ。まさに文字の顔だ。人の顔にはいろんな顔があり、私たちはそれを識別している。そして好みもある。みんな目、鼻、口…とそれを判断するためのパーツを備えている。そのちょっとした違いで識別している。顔認証ソフトの進化は驚くほどにいちじるしい。日本人全員を識別できるかもしれない。しかも瞬時に。私は長年タイプフェイスデザインに興味をもち、どうしても作りたかった理想がある。それは若いころに受けた刺激が大きい。その中の一つがハーブ・ルバーリンの「アバンギャルド・ゴシック」だ。これはその「アバンギャルド・ゴシック」にインスパイアされたタイプフェイスである。よく言われることだが日本語とアルファベットでは同じモチーフで作成してもどうしても無理が生ずる。でも私なりに日本語自体をなるべく共通するモジュールで、多少強引なところがあっても統一した文字を作ってみたい。その一念から作成したものである。

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究極の単純化システムとモジュールで日本語書体を作りたい。このことから出発した。それを「Pure」と名付けた。だがこれでは日本語を組む時に漢字も必要だし可読性などもかなり犠牲になり、ディスプレイタイプとしてしか通用しない。そこでそれをもう少しボディタイプとして通用する領域まで要素を増やして作成したものがこの「Pure-N」である。

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●「Pure-N」のファミリーはThin、Light、Regular、Medium の4種類である。ひらがな、カタカナ、アルファベット、及び一部の記号のみである。●ひらがなのカーブは主に6種の円弧に集約させた。カタカナも6種類からなる。●基本的に横組専用である。そのために横線位置をなるべく共通化させた。特にひらがなは上部側で5種類、カタカナは上部側5種類、下部の下線位置は1種類に集約させた。(特に一番上部のラインは46文字中ひらがなでは27字、カタカナでは22字)またアルファベットとの組みを意識し、ベースライン(本来、日本語には無い)を少し上げた。更に上部側の横線はThinからMediumまでアルファベットに近い考え方で上部側に寄せてある。アルファベットではどのファミリーでも上下はそろっている。(ベースラインからキャップライン間のキャップハイトに文字が成立している)●また横線は基本的に全て水平としてある。日本語では少し傾斜したりカーブ状になっているものが多い。それは縦書きと筆文字として発達してきた経緯から生じたものである。筆の運び順からくる入筆部や点、払いなどが表現されているものもある。可読性があればできるかぎり省略や単純化を試みた。特に「う」「え」「せ」「つ」「て」「そ」「ひ」「み」「む」「や」など、従来はディスプレイタイプ以外にはやっていない。

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●横組みでの文字の流れを意識し、ひらがなでは次の字につながる右側に流れて上がる感じを一連のカーブの延長として共通化し特徴としている。(46文字中15文字)これが軽快感を出している。●欧文書体のサンセリフでは多く行われている縦線横線の水平垂直切りを基本としている。これは日本語では特に漢字では無理が生じてくるのでなかなか一般のボディタイプでは少ない。『かな』ではできても漢字は従来のセオリーのものとの組み合わせになってしまっている。ボディタイプとしては無理のないことである。

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ところでこの文章は一種の『いろはうた』である。同じ文字を二度使わずに文章を作るもので、さまざまなものが発表されている。五十音と言われるが、現在は46文字である。『ゐ』、『ゑ』は現在使われていない。使用されるのは歴史上の説明が必要なときのみである。ちなみに『ん』の文字は大正8年に初めて現れたものでそれまで表現する文字は無かった。また濁音文字も日本には無かった、というより嫌われていた。これらは山口謠司氏の著作ではじめて知った。いろはにほへと‥は48文字だが、正確にはひらがなだけではない。話は変わるが筒井康隆の小説で『残像に口紅を』という作品がある。この世から一文字ずつ文字が消えていくという設定で残った文字だけで小説を書いていくという内容だが、よくもこんな設定であんなボリュームの小説が書けるものだと思った。筒井康隆は天才であるというのも、あながち嘘ではない。私は天才でないので、この『いろはうた』にはかなり無理があり、つじつまの合わない文章になっている。延べ46日続けるつもりだ。なんてバカなやつだと思う方もいるだろうけど関心があったら見てほしい。そしてなんらかのコメントを頂けると本当に嬉しい。

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閑話休題。最近のタイプフェイスの傾向は手書き風、やや懐古風の明朝系、少しくだけた又はヘタウマ的な、よく言えば「味」を求めたものが多い。日本人はくだけたものが好きなのだろうか。私はサンセリフ体にこだわっている。(サンセリフとは装飾的なセリフが無いの意味で、19世紀初頭では見慣れないものとしてグロテスクと呼ばれていた。ゴシック体とはローマン書体以外という意味で、ヨーロッパでは使われない。サンセリフと同義ではある)同じサンセリフ系でも1920年代以降のバウハウス的な新しいコンセプトの幾何学的なものから生まれた書体(エルバ―・グロテスク、フーツラ、ギルサンズなど)はあまりけ入れられなかった。それでも20世紀初頭のヨーロッパ(特にドイツ)では、よりくせのない一般的なサンセリフとして「アクツィデンツグロテスク」が人気となっていた。1957年、スイスのハース社のエドアード・ホフマンとデザイナーのマックス・ミーティンガーがこれを徹底的に分析検討し洗練させて発表したのが「ノイエ・ハース・グロテスク」(ハース社の新しいグロテスク書体)のちに「ヘルべチカ」と改称された書体である。

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私はこの「ヘルべチカ」と1975年頃に出会った。当時トミーにいた千石さんに教えていただいた。ここからタイプフェイスの世界に入っていった。そしてなによりもこの「ヘルべチカ」は理知的で冷静、信頼性、親しみやすさ、くせのなさ等の特徴を持つ書体として広く世界に浸透していったと考える。「アクツィデンツグロテスク」と比較するとその一文字一文字の洗練された美しい形の違いがよく分かる。そしてなによりその違いが世界でも通用し、理解できるものだとずっと信じてきた。美についての共通の意識である。「ヘルべチカ」は活字時代、写植時代、インレタ時代、そしてデジタルフォントの時代へと生き延びてきた。それは「ヘルべチカ」の力である。ポテンシャルエナジーである。

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残念ながら世の中は変わる。美人の基準も世につれ変わっていくのと同じである。だから「ヘルべチカ」の持つバランスのとれた美しさにあえて反旗をひるがえしたものがまた出てくるのだと思う。要は飽きてくるからである。飽きてきたからといって懐古趣味に走るのはどうかと思う。古いものが新鮮に映ることはやむをえないことなのか。これが私には残念でしょうがない。美しいものは永遠に美しい。少なくともダ・ヴィンチのモナ・リザ位には続いていいんじゃないだろうか。

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世の中には流行というものがあり、どんなに美しい、きれいだ、素晴らしいと思っても何年かしたらもっと短く数週間いや数日で消えてしまうものもある。流行は受け取る側の反応の多さでできていると思う方が多いかと思うが、実は作り手側、送り出す側がどんどん出すことによって、また過剰な競争によって作り出され、そして過去のものにされていく場合が多い。商品は、これは本当に良い、一生ものだ、美しい、これに勝るものは二度とできないだろう、などと思うものが時々ある。そして多くの人達がそう思い、手にしてくれると評価につながり流行になる。流行になると偽物や亜流のものが増える。流行になる仕掛けを作っている場合も多い。経済社会、商業システムの基本だと思うが、作り手としては両方の苦しさや悩みがある。評判になるほど来期は改良新製品をという準備に追われる。売れなければコンセプトが悪い、デザインが悪いということで、売れている商品の領域を模索することになる。オリジナルで良いものはなかなか簡単には認識してもらえない。売れる仕掛けと予算が付きまとう。素晴らしい商品も次の代替モデルで自滅の道を歩む場合もある。変化を求めすぎるあまりチャレンジしすぎるとそっぽをむかれることもある。大メーカーでも陥るケースもある。イメージは大事だ。商品のイメージやCM等のイメージがつまらないことでつまずくこともある。

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売れるということが評価の基準とされるから、真似るのかもしれない。最近までの中国の商品が良い例である。特に自動車では全くのコピーがあった。近年やっと似て非なるもので流行先端のものを発表できるようになった。が世界に通用し輸出できるような信頼性は一朝一夕でできるものではない。車以外では今でも繰り返している。偽ブランド品等堂々とまかり通っている。

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ついでに言うと車はうんちくを言いあえる世界だと思っていた。デザイン、性能、装備等々。それが楽しい時代もあった。今は車雑誌が以前ほど売れない。特に若者は車に対する興味が少ない者が多い。金持ちになってカッコいい車…を手に入れることが何の価値もない、夢のない時代なのかもしれない。現実的に余裕がなく将来の不安も大きいことにも一因があるのかもしれない。格差はますます広がるだろう。車に限らず『もの』というのはうんちくを言える世界だと思っていた。人間には人権があるから美醜は言えない。しかし『もの』は構わない。そのうんちくを言い合うのは楽しい。当然好みを言い合う。しかし高い新車を買って持っているのを知らずに酷評したらやはりいい気持ちはしないだろう。中にはけんかになったり、二度と話し合える機会が無くなったりもする。『もの』の人権?ではなく、持ち主や作者の人権だ。若い時にそのことに気づかず失敗したこともある。でも不細工なものは存在する。それくらいの楽しみの内輪話は許されていいのではないか。多様な好みが存在するから、様々なものができるのだ。だからみんな同じ方向を向いているのはちょっと悲しい。話は違うが人が話す前に先制攻撃で言っちゃう人がいる。相手がどう思おうが自分の持論や売り込みをするタイプだ。どんなに閉口しても続けられると参ってしまうこともある。このような人は営業に向いているかもしれない。人間性善説で生きているのだ。

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どんどん脱線するが、褒めたり肯定すれば否定するよりはいいのかもしれない。ブレーンストーミングでも相手の意見を否定しないが原則だ。でも同じ言葉はどちらにでも受け取れる。慇懃な言い方も存在する。慇懃であるよりはストレートなほうがお互い気持ちがいい。『は、ひ、ふ、へ、ほ』は時にきつく否定に聞こえる。『非、不』の発見はある意味でビジネスチャンスでもある。では何故きつく聞こえるかというと実際には『は~』ではなく『ハッ!』が多いからだ。日本語で表すと促音になる『ッ』が存在する。韓国語では特に多い。語尾の『~スミダッ』も加わり、私にはひとを軽蔑し怒っているように聞こえる。ついでに言うとドイツ語も濁音や促音が多い。どちらの国にも共通するのは村八分構造または相互監視構造かなとも思う。厳しい環境が生んだ言葉なのかなと思ってしまう。でもルールを守り、論理的であることはいいことでもあるかな。

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私は長年ID(インダストリアル・デザイン、最近はプロダクトデザインという人も多い)の世界で仕事をしてきた。中小メーカーがほとんどだが、ある商品一つで大きな変化を得たこともある。若い頃は大体ABCDと4案位はプランを出す。必ず本命があるのだが、なかなかそれを選んでくれない。自分の思うようにはいかない。入れ込んでやった仕事ほどそれがストレスになる。その繰り返しが多かった。それでもやっぱりIDの世界から離れられない。だから思い通りの形が成立するように製造方法やメカニズムを学んだ。初めての仕事は鍵と錠前だったが、これは面白い世界で、量産品でありながら一個一個違わなくてはいけない宿命を持ったものなのだ。その頃何もわからない私にメカニズム構造を教えてくれたのは篠田さんだった。メカ構造の基本を教えていただいた。その後、鉄、アルミ、ステンレス、ダイキャスト、鋳造、そしてプラスチック等や表面処理方法、どのように製造し、どのように組み立てるかを、何を見ても目が行き、考えるのが習慣になった。特にプラスチックの成形は詳しいほうだと思っている。だから絵にかいた餅は描かない。設計もある程度はできるようになった。なんでも広く浅くだが、知らないとできない世界であると思っている。独立してから2度だけ断った仕事がある。ある健康器具でもう2年近くやっているのだがなかなか商品化できない。学生にアルバイト的にやってもらって150万円位投資したらしい。それを20万でやって欲しいというものだった。さすがにその仕事は断った。直接で無かったのでことは簡単に済んだ。でも大方はこちらが断られる場合がほとんどだ。それも断ってくれる方は良い。反応が無い場合がほとんどである。知名度のあるデザイナーではきっとそういうことはあまりないだろう。どんなに社会的地位のある方でも反応無しで済ませるひとの多いこと。この歳になってそれが社会を生き抜く力なのかとあらためて思い知らされる。

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ジョアオ・マゲイジョの『光速よりも早い光』という著作がある。アインシュタインの「光を超える速度は存在しない」という理論に挑んだ若き科学者である。『ビッグバン』という言葉と概念は小学生の時、「子供の科学」で知った。ビッグバンから宇宙は始まったというもので、今では認められた学説でその証拠も観測されている。でも実はビッグバンの前に『インフレーション』という1秒にはるかに満たない段階があって、これを矛盾なく説明する理論は確立されていない。これを説明する理論の一つとしてVSL(光速変動理論)という説を唱えた人である。この本で彼は自分が一流の理論物理学者でどんなにしっかりした教育を受け、優秀で立派な経歴の持ち主であるかを延々と述べている。事実嘘ではない。そうしなければ一蹴されてしまうことを知っているからである。残念ながら私にはそんな経歴も実績も無い。だから苦しい。しかし本当に多くの仕事をしてきた。そして真摯に仕事をしてきたと自負している。私にとって、いい仕事は依頼されて打ち合わせる時のコミュニケーションでほとんど決まる。その場で話し合うことでいいアイデアが一瞬で降りて来る。あとはひたすら結果に向かって作業するだけだ。降りてこないことも時々ある。その時は結果的に非常に苦しむ。理由は分かっている。だから直接会って、どんな考え方で何を望んでいるかを話し合う必要がある。ある会社で、一度他のデザイナーと交流する機会があったがその方はパンツ一丁でひたすらいいアイデアをねじり出すという趣旨のことを披露してくれた。私には考えられないことだった。いいアイデアは良い編集者と作家の関係のようなものではないかと思っている。

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1970年にバウハウス展という展覧会があった。私が大学に入った年である。それは衝撃的だった。バウハウスとは1919年ドイツのヴァイマールに設立された美術と建築に関わる工芸やデザインを教える学校だった。ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、パウル・クレー、ヨハネス・イッテン、モホリ・ナジ、ワシリー・カンディンスキー、リオネル・ファイニンガー、オスカー・シュレンマー、マルセル・ブロイヤー、等名前を覚えたものだ。その後ナチスによって追い込まれ、デッサウ、ベルリンと移転したが1933年に閉鎖された。戦後アメリカ等に亡命した人達によって特にアメリカでインダストリアルデザインという概念と言葉が生まれた。若かった私はこの虜になった。私たちの受けた教育もまだこれらの理念を引き継いだ時代だった。一生を捧げるにふさわしい職業だと信じ胸をふくらませていた。一方でタイプフェイスへの魅力も忘れられず続けていた。写研タイプへェイスコンテストというのがあって、「ナール」、「ゴナ」で有名な中村征宏氏の「ナール」もこのコンテストから生まれた。それに応募し入選したことがある。写研にいた同じ大学の先輩からやってみませんかと話をいただいたこともあるが、その頃は2Dより3Dの世界の興味が大きかった。何度もとりかかっては中断したが、この4年位暇を見つけては真剣に取り組んでいる。その一端から出来たのがこの「Pure-N」である。若い時に作っては中断したものを見るとやはりバランスが悪い。組んだ時の可読性にいたっては発表できるレベルのものではない。年の功は大事な要素ではないかと最近思っている。

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私がタイポグラフィーに興味を持ち、最初に出会ったのが佐藤敬之輔だ。1970年頃で本のタイトルは覚えていないが、その中の和文書体が印象に残っている。特に「す」の文字だ。今まで見たことのないバランスの文字で、丸の部分が大きく、流れの部分が極端に短いものだったが、バランスのとれたきれいな字だなと今でも思い出される。それから「タイポス」に出合った。「タイポス」で初めて文字のシステム化の一端を見た。桑山与三郎、伊藤勝一、林隆男、長田克己の4人の作である。「タイポス」で特徴的な文字は『な』である。その後いろいろな書体が出たが、日本語のひらがなは『な』でほとんど見分けられる。私にとっての「タイポス」のイメージは英文書体で言うと「オプティマ」である。明朝体のイメージを残しながらモダンに処理されていると感じた。その後、1975年頃イタリアを訪れる機会があり、ローマへ行ったときに遺跡に刻まれている文字はみな、「オプティマ」ではないかと思い、あらためて歴史の長さを乗り越えて続く美しさを実感した。(のちに分かったがオプティマ自体は1950年に製作されたもの。タイポスは1968年に発表されたもの)

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私にとってサンセリフ体は長年とりこになっているものだ。欧文書体では「ヘルべチカ」、「ユニバース」、「フーツラ」、「アバンギャルド」、「バウハウス」、「オプティマ」、「エラス」、「カベル」、「フルティガ―」、「OCR-B」、「パンプ」が好きである。それぞれ特徴が違うが、やはり「ヘルべチカ」は別格である。「ヘルべチカ」と「ユニバース」は微妙に違うといってもよいと思うが、一番の違いは優雅さである。「ユニバース」はそれをあえて廃しているように思える。システマティックでやはりドイツらしさを感じる。「フーツラ」はバウハウス時代にドイツで生まれたのだが、私にとってはずーっと『ELLE』で親しんだ書体なのでなぜかパリのファッションのイメージが付きまとう。「アバンギャルド」はアメリカのハーブ・ルバリンによって作成された。ジオメトリック(幾何学的)サンセリフの中ではリガチャ(合字)をきれいに組めるのが最大の特徴だ。インレタを使っていた時代は一番嬉しい書体だった。「フルティガ―」は「ヘルべチカ」の抱える問題、誤読性を改善したものとして評価されている。公共性のあるところで使用されるのも納得できる。作者のフルティガ―氏は先の「ユニバース」、「OCR-B」などの作者でもある。今世紀になってからのサンセリフ書体は「フルティガ―」の影響が大きいものが多いのではないだろうか。「OCR-B」は言うまでもなくOCR(光学文字判別)システムのために開発された書体で誤読が無く、バーコードのナンバー表示にも使用されている。「バウハウス」は後年バウハウスの理念を反映させたものとして作成されたものだと思う。「オプティマ」は先にも記したようにローマ時代からあった書体からインスパイアを受けて1950代に作成されたものである。私はフォロ・ロマーノの遺跡が作られた時代から変わらずあったものと思い込んでいたが近年再びローマを訪れて実は違うものだと分かった。ローマの遺跡の文字は今でも輝いている。「エラス」は「オプティマ」のような古典的優雅さと「アバンギャルド」のようなジオメトリック性と可読性と併せ持った魅惑的な書体だ。「カベル」は「フーツラ」と「アバンギャルド」のイメージも持つがもうちょっと遊び心があって楽しい書体だ。「パンプ」は「バウハウス」「フーツラ」「アバンギャルド」の持つジオメトリックをさらに極めたものの中では優れたバランスがある。最近のものにもいくつか良いものがあるが名前の分からないものもある。以上の欧文書体はみな美しく破綻の無いバランスを備えている。そこが好きなのではないかと思っている。

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和文ではその後、中村征宏氏の「ナール」と「ゴナ」が印象に残った。どちらも日本の文字文化を変えたもので和文タイプフェイスでは金字塔になるものだと思う。「ナール」は字面の大きさ、ふところ(カウンター)の広さなどで同じ級数でも大きく明るく軽快感があり可読性にもすぐれていた。そしてなによりバランスのとれた書体である。丸ゴシック体で優しさもあり、多くの雑誌、特にファッション誌に多く使用された。それまで日本にはなかったフランスの『ELLE』を思わせる『アンアン』などの雑誌が続々生まれた。映画の字幕にも多く使用された。その後まもなく「ゴナ」もでき、これが「ヘルべチカ」の和文版だと思わせる雰囲気を持つ新しい時代のサンセリフ書体だと思った。残念ながらその後、写植時代から一気にデジタル化の時代に変化していく中で『写研』の対応が遅れた。そのことに起因して多くの偽物書体に置き換わってしまった。私も「ゴナ」を使いたかったが無いものは使えないということでやむを得ず他の書体を使うことになってしまった。所詮、偽物は偽物である。確かに顔認証システムのように微妙に違うことは分かるのだがそれに同じ性格を感じてしまう。人間はよく似た人物として『そっくりさん』という有名人にあやかった人がいつの時代も出てくる。『そっくり』という認識はコンピュータの顔認証システムにはあるのだろうか。たぶん似ているという感覚は人間だけに存在するものではないだろうか。そう思うからこそ偽物という認識が生じ、罪悪感とつながる。私は大学に入った時にまねをできるのは学生時代だけだと教わった。だから今はいいものをどんどん見て、まねてみることでその意図や製作過程を学ぶ時代なのだと。社会に出てからは何がオリジナリティーなのかを絶えず意識して仕事をしてきた。自分がはじめて考え出したものだと思っても、実は前にそのモチーフやエッセンスを用いたものは必ずといっていいほど存在しているのだ。だからパテントも難しい。ほとんどが先例のあるものの改良改善からできている。それがパテントとして認定される、の繰り返しだ。法的な認定があるものはそうなるが、デザインの世界ではなかなかエモーショナルで個人の差が大きい場合が多い。「ゴナ」の偽物たちは私にはほとんど偽物にしか見えない。しかもバランスの悪い偽物もあった。デジタルフォントの時代になってから、製作もデジタル化されてきたので圧倒的に時間も短縮されてきたことに起因する部分もあると思う。中村氏が「ナール」と「ゴナ」を作成していた頃は烏口やロットリングと面相筆で作業していた。これで日本語の当時の当用漢字でも1800字あまり、実際には6000字以上作成したはずだ。しかも発売時には4ファミリー位あったと思う。気の遠くなるような作業が延々と続くのだ。実際には写研のスタッフが作業の中心だったのではないかと推察するが、驚異的なスピードで世に出した。私がはじめて独立して事務所をかまえたときに隣の部屋に駒崎さんという方がいた。駒崎さんはモリサワ・タイプフェイス・コンテストで入選し、その文字を作成していた。私があいさつに行くと2年の約束だが今も作業中だということであった。本当はお酒が大好きなのだが今は酒を絶って取り組みもう3年目なのだと話してくれた。でも今日だけはいいかと地下の飲み屋さんでご一緒した。見みせてもらった文字はもう5000字を超えているということだったが、皆見たことのない知らない文字ばかりだった。のちに「コマーズ」という名前で発売された。1ファミリーでも、ほぼ問題なく組める文字盤にするにはその位時間が掛かった時代だ。中村氏の能力と労力には敬服する以外ない。

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その後、私の中で印象に残るサンセリフで偽物ではなく完成度の高いボディタイプの書体は佐藤豊氏の「ニタラゴ」だ。これは「ヘルべチカ」のように線の垂直水平切りをしてあってバランスのよくとれた素晴らしい書体だ。TVのテロップなどでもよく使われている。(しかしなぜテロップでは次の表示で別の書体へと次々と変えてゆくのだろうか。理解できない)でも世の中で「ニタラゴ」という名称で認識され使用されるようになるまでには相当時間が掛かったようだ。でも、私はこれでは満足できない。「ヘルべチカ」に出会ったときからこれと一緒に組める書体をいつか作りたい、が目標となった。この作業は今、少しずつ進んでいる。私自身のその後の変化もあり、全く同じセオリーのものではない。漢字の基本コンセプトもできているが、相当に時間が掛かるだろう。今はこれが私のライフワークだ。

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この過程で生まれたのが、もう一つの衝撃書体「アバンギャルド」にインスパイアされてできた「Pure-N」である。少ないエレメントで統一する目的からはよくできていると自分では思っている。しかし実際組んでみるとやはりどうしても直したい部分が出てきて一部手直しが必要だと思っている。一文字ずつ改めて見るためにこの作業を行っている。こうして見ていると初歩的なセオリーを無視したことでおかしく見えている部分もある。自分で決めたコンセプトで、なるべく例外なく作ろうとするからである。そして今までに進んできた基本的なベクトルは大切にしたいと思っているからである。「アバンギャルド」は一見同じ〇でできている『o,e,c,d,a』などでも皆、微妙にサイズが違う。手描きで作業をしていたこともその理由のひとつだとは思うが、十分な検討をしていたのだ。私はモジュールという概念を知ったときから、それが基本的に自分の物差しになった。コルビジェは自分で決めたモジュロール以外の寸法は記入しなかったとさえ聞いたことがある。それで良いと信じている部分があり、例外をなるべく省きたいのだ。今はデジタルソフトでの作業なので、共通するものを引き出して使用することがたやすい。ついコピー&ペーストを簡単にやってしまう。そしてそのほうが効率的でもある。モジュール概念を知らなくてもできるということになる。だから〇は全て共通のサイズにしやすい。でもできたものはなかなか素直にバランスが取れているとは言いがたい。従来見慣れてきたものと違うからだ。

ずーと見ていると良く見えてきて、これでもいいんじゃないかと感じるものもある。でもやはり無理なものもある。これが大事なことなのではないだろうか。特に文化を表現する文字ではそんなに簡単に変化してはいけないのではないだろうか。100年後でも読める状態でかつ美しくあって欲しい。でも今から100年以上前の明治時代にはやむを得ない事情があった。日本語がまだ統一された共通言語になっていなかったからだ。当時は方言が著しく違い、外人と英語で話すほうがむしろたやすかったという話さえあったそうだ。英語の特徴は世界共通語としての歴史である。(特に最近は地域以上に若い世代での変化もあるらしいがそれは今の日本語に限らず世界に共通した悩み?だ)記録する共通語としての日本語がまだ成立していなかった時代だ。現代は日本語もそういう意味では成熟期なのかもしれない。100年後も健全であり続けてほしい。だからもしタイムマシーンで見ることが可能ならば読める文字であってほしい。(また脱線だが、100年後には日本語の文学は無くなるかもしれない。英語で書いた方が作家にとってはメリットがある。日本の人口も間違いなく減るし、今でも英語で書いている作家は数年に1作でも生きていけるからだ。翻訳者も古典翻訳者になるかも)しかし私には変えて欲しいものもある。表音文字としての問題である。『ず』と『づ』、『じ』と『ぢ』の使い方はいまでもよく間違える。濁音前の基本形で読んでみるのだが、打ち込んでも変換しないことがままある。『~は』を『~わ』、『~へ』を『え』、『~を』を『~お』とは間違えることはないが、考えて欲しい問題だといつも思う。『~を』は専用の文字があり、『w,o』と打ち込むけど、『~は』『~へ』には専用の文字が無い。変換ソフトがここまで進むとますます変える必要を誰も意識しなくなってしまっている。明治時代の国語学者の提案や運動のほうがよほど進んでいたと思えることさえある。森鴎外がその道を大きく阻んでしまった。その他にも問題は数々あるが、ひとまずはここまでとする。

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IDでもある程度完成した段階で最低でも2週間は見続けることにしている。それで飽きてしまうものはNGだ。文字も同じだ。見続ける。私はいろんな雑誌や看板を見ても内容よりも形や並びを先に見てしまう。職業病なのかもしれない。だから文字を作っているときは楽しい。それに比べて文章として打ち込めるようにフォントにする作業は楽しくない。ただひたすら間違いのないように移し替えてアウトラインの変化で問題がないように手直ししていくだけだ。1ファミリー250字足らずでも嫌になる。また漢字が無いことでどうしてもしっくり素直に読めない。既存の漢字との適合性は無視して出発したためだ。そのためにも今進めている書体が必要なのだ。完成すれば「Pure-N」とも組めるようにと考えている。

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名は体を表すというが、顔もまた体を表す。顔には性質、性格がやはり現れる。生まれ持ったものは変えられないが、学習や経験から得たものや信念と情熱は必ず反映する。しわの数や形も人生の宝だ。変わらないと苦労が足りない感受性のないノー天気な奴だと思われる。変わると真剣に受け止めすぎてネガティブだと敬遠される。夏目漱石は「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」と書いたが、結局はうつ病になってしまった。タイプフェイスにもまた性格が表れる。でもこのことがやる気を持続させてくれるのではないかと信じている。まだ途中だが、この辺で辞めることにした。人生振り返るとろくなことがない。33歳の時、ちょっとだけ振り返ってしまった。そして気管支喘息になった。まあそれが八ヶ岳に来るきっかけにはなったのだが。もう振り返るのは辞めることにする。ここまで見ていただいた方々には本当に感謝です。いつか必ず公開して使用していただけるようにと思っている。