「ヘルベチカ」が誕生した頃には「アクツィデンツ・グロテスク」が出回り売れていたことが、その背景にあった。
「フーツラ」が誕生したのも、単にバウハウス運動があっただけではない。その前のローマ時代からの長いロマーン体の歴史があったからこそ受け入れられたのだと思う。「フーツラ」の骨格はフォロ・ロマーノの遺跡の刻印文字と基本的に同じである。「オプティマ」の骨格は「フーツラ」とかなり近い。ものすごいモダンさの中に脈々と続いた歴史を感じる。もちろんそれ以外の書体にも長い歴史があってこそである。だが、私はサンセリフ以外に興味がないので、この二つに特に思い入れが強く、その時代背景を読むとわくわくする。私が大学に入学した1970年にはバウハウス展があり、それを見にいった時には本当に感動した。ちょっと横道にそれるけど同じ年の夏に世界SF大会というのがあり、アーサー・クラークの講演があった。覚えているのは、今スリランカに住んでいるということだけだ。でもそれがどんな所に住んでいても仕事はできるということとして私の中に残った。本当に感動の1970年だったと思う。
「NAX」の漢字制作作業をしていて思ったことは先のことである。どんなアイデアもいきなりできるものではなく、それなりの時代背景があってこそできるということだ。何度か書いているが「ヘルベチカ」と出会ったのは1976年頃だったと思う。その後の日本語の書体はそれとは離れていく傾向に発展していったように思う。日本語は「ヘルベチカ」ような端末処理や、ヴィジュアルイメージとしての信頼性を求めてこなかったと思う。きわめてエモーショナルな面を重要視してきたように思う。それは日本人が虫の音を左脳で聞くということとも関連するかもしれない。感性も左脳で処理する文化があるのかもしれない。だから理性とまぜこぜにして平気に感じている可能性があり、そのことがエモーショナル性の尊重主義につながっているのかなと思っている。私が失われた50年というのは、少なくとも70年代からそのような方向の出現があまりにも少なかったように感じるからである。
これも以前に書いたが香港では少なくとも20年以上前にこのような漢字が出来ていた。私が評価し感動してきた書体は、「タイポス」「ナール」「ゴナ」「ニタラゴ」「メイリオ」である。でも「ニタラゴ」以外は時代の波に翻弄され正当な評価を受けず過ぎてしまった気がする。原因が明らかなものもあるが、それ以上にグラフィックの現場が過去のものにしてしまいたがる傾向が強かったことにも一因があるのではなかろうか。だから「NAX」も評価されることはほとんどないと想定される。しかし、私も日本人として「NAX」で組んでみて違和感を覚える自分がいることに気付く。漢字作業に入ってすぐから見出しにはよいが、本文組みには難点を感じることが何度もあった。そこでもう少し現状の日本語書体に近い処理を取り入れた書体をつくる必要を感じていた。それを「NAZ」と名付けてすでに取り組みはじめている。その前によりジオメトリックな「PURE」を先に予定している。すでに2017年にはおおかたできているがそれを整理し発表の予定である。
図は「アクツィデンツ・グロテスク」「ヘルベチカ」「ナックス」、「トレイジャン」「オプティマ」「フーツラ」(フォロ・ロマーノの遺跡文字は私の手持ちにはないのでそれをトレースし一番近い文字といわれている「トレイジャン」をのせてある)