「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰 訳)を読んだ。
著者はニューギニア、アフリカ、中南米などでリサーチをしてきた医学部の教授であり、進化生物学者であり、分子生物学、遺伝子学、生物地理学、環境地理学、考古学、人類学、言語学等にも詳しい才人である。それらを縦横に駆使し、この壮大な人類の歴史を書いている。人類は大陸ごとにまた地域ごとに異なった発展をしてきた。そこにおける差は非常に大きい不均衡状態にある。それがどのような経緯でそのような結果を生んだのかを幾つかの要因に分けて述べている。
そしてどのようにして、このような差異が出来てきたかを、食料とその生産、家畜の有無。そこから始まった格差がもたらした征服の数々、病原菌のもたらした結果、鉄の発見と銃にいたるまでの経緯、その結果からのさらなる征服のくりかえしの歴史、文字の誕生と発展、オーストラリアとニューギニアの違い、太平洋の島々の人の移動の歴史、中国の独自の発展の理由と意味、アフリカが何故黒人の社会になったか等について細かく歴史上の事実に基づき述べている。すべてが今日の文明の歴史の差異を生んだ要因と結果である。
例として、スペインのインカ帝国を滅ぼしたことを述べている。1532年、スペインの将軍ピサロが168人のならず者集団をひきつれて上陸した。ピサロとインカ帝国アタワルパは出会った。たった168人で一人の犠牲も出さずに、何故4万人のインディオの内7000人ものペルーのインディオを1日で虐殺できたのかを史実に基づき、詳しく述べている。それは銃器、鉄製の甲冑、馬によるものであった。それに対し、インディオには騎乗する動物がいなかった。武器も石の棍棒、青銅器や木の棍棒や斧などであった。そしてなによりも通じ合うことのない状態で会ってしまったのだ。その後彼らの持ち込んだ病原菌によってつぎつぎと犠牲者が出た。当時のヨーロッパは神聖ローマ帝国が支配しており、皇帝カール5世はスペイン王カルロス1世でもあった。ピサロは文字も読めない人物だったが、キリスト12使徒のひとりであるヤコブのスペイン名である「サンティアゴ!」とさけびながら突進したそうである。その後あっという間に、8万人程のインカ帝国は滅びた。さらに中南米の民族はことごとく全滅させられた。
またポリネシアの例をあげている。1835年11月19日、ニュージーランドの東方800キロの所にあるチャタム諸島に銃、棍棒、斧で武装したマオリ族500人が突然船で現れた。12月5日にはさらに400人やってきた。彼らは「モリオリ族はもはやわれわれの奴隷であり、抵抗する者は殺す」と告げながら集落の中を歩きまわった。数のうえで2対1とまさっていたモリオリ族は抵抗すれば勝てたかもしれない。しかし、彼らはもめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。しかしマオリ族はモリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。生き残って奴隷にされた者も、数年のうちに殺されてしまった。マオリ族は、「われわれは自分たちの習慣に従って島を征服し、すべての住人を捕まえ、殺したまでである」と言った。そのわずか1000年ほど前にポリネシアに広がっていった祖先を同じくする民族である。現代のマオリ族は西暦1000年頃にニュージーランドに植民したポリネシア農耕民の子孫である。この植民の直後、ニュージーランドのマオリ族の一部が今度はチャタム諸島に植民し、モリオリ族となった。その後マオリ族とモリオリ族は全く正反対の方向に進化した。ニュージーランド北島のマオリ族は技術と政治機構をより複雑化させる方向に進んだのに対して、モリオリ族はより単純化させる方向に進んでいった。モリオリ族は狩猟採集民へと逆戻りし、マオリ族は集約型の農耕民となったのである。著者は「このモリオリ族とマオリ族の間に起きた出来事を小規模で短期間ではあったが、環境が人類社会におよぼす影響についての自然の実験だったといえる」としている。
著者は人種や民族による差異は生物学的な差異で生じたものではなく、居住環境によるものであるとしている。つまり文字を持たなく独自の発明も伝達手段も持たないことによる発信や征服がないのは、その環境がもたらした結果であり、人種や民族の能力に差があるわけではないというきわめて人類愛に満ちた主張である。これに異論のある人たちもいるだろう。それがヘイトの根底にある。
著者は人類は1万3000年前にはほとんど同じような状態にあり、そこから幾つかの村落生活が始まり、アメリカ大陸にも人が住み始めたスタートラインの時代としている。多くの発見された遺跡が修正炭素14年代測定法によって同じ時代であるとしている。そこから穀物の生産、村落の誕生、動物の家畜化、騎馬の獲得などがもたらした発達はその地域の環境によってどんどん差が出てくる。家畜化にともなう病原菌との戦いと耐性の獲得。そして青銅器、鉄器の発明、文字の発明と続く。食料の安定的な生産と貯蔵は人口の増大につながる。それが小規模血縁集団(数十人程度)、部族社会(数百人単位)、首長社会(数千人)、国家(5万人以上)へと進んでいく分類をしている。それぞれの大陸の特性、南北より、東西に長いユーラシア大陸の有利性と伝達の速さ、その中でも肥沃三日月地帯(現在のトルコ、シリア、ヨルダン、イラクのユーフラテス川の上流地域)がなぜ一歩先にリードできたのかをいろんな面から解説している。この一歩がとてつもないリードへとつながっているのだが、それはユーラシアの人々が他の大陸の人々よりも知的に恵まれていたからではなく、地理的に恵まれていたからだと言っている。つい近年まで、現代においてさえ石器時代と同じ生活をしている部族もいる。そこにある差は必要がなかったから続いたものであり、けっしてその人達の能力の差ではないとする考え方だ。
現代の中国に見られるパラドックスは、人口の多い他の国々が現在もそうであるように、この国もかつては多様性に富んでいたことを示唆している。中国の違うところは、それらの国々よりずっと早くに統一されてしまった、ということだけである。中国の「中国化」は、古代においては広い地域にまたがっていた人種のるつぼが徹底的に同化されてしまったことを意味している。ヨーロッパの社会、肥沃三日月地帯、そして中国の社会は同じユーラシア大陸に位置するのに、なぜヨーロッパの社会がアメリカ大陸やオーストラリア大陸を植民地化し、もっとも進んだ技術をもつようになり、政治経済の分野で世界の主導権を握るようになったか。この1万年間で社会の発達がもっとも遅れていたのがヨーロッパであり、紀元前8500年以降、ギリシャ文明が興り、紀元前500年にイタリアに国家が形成されるまで、家畜・植物栽培・文字・冶金・車輪・国家などの主要な発明が最初に登場したのは、肥沃三日月地帯やその周辺の地域だった。西暦900年頃以降に水車技術がヨーロッパから広がりはじめるまで、アルプス山脈の西側や北側に位置するヨーロッパの社会が旧世界の技術や文明に貢献したものは何ひとつとしてなかった。ヨーロッパの社会は、技術を提供する側ではなく、地中海地方東部や肥沃三日月地帯や中国の進んだ技術を受け入れる側にあった。肥沃三日月地帯や中国は後発組のヨーロッパの数千年先を行っていた。それなのになぜ、彼らはその圧倒的なリードを徐々に失って行ったのだろうか。もちろん、ヨーロッパの勃興の裏には、商人階級の台頭や、資本主義の発達、特許を手厚く保護する風土、絶対専制君主および過酷な税制の打破、実証主義を重んじるギリシャ・ユダヤ・キリスト教の伝統といった直接的な要因が存在したと指摘することはできる。しかしわれわれはこうした直接的な要因をもたらした究極の要因についても考える必要がある。それについて著者はこう答えている。アレキサンダー大王が東方を統一したことで、文化の流れが西側へ加速していったこと。肥沃三日月地帯が森林地帯から砂漠化していき、穀物生産地域でなくなっていったことなど。これらは人類が変えてしまった結果で自分の首を絞めるめる結果になってしまったこと。また中国はバスコ・ダ・ガマが喜望峰を回る前にアフリカまで行っていたにも関わらず船団を中止してしまったこと。それが中国宮廷内の宦官派とその敵対派の対立にあるとしている。その他にもあらゆる技術開発にも規制をかけてしまった。中国の政治的な統一による悪しき影響と、それとは対称的なヨーロッパの不統一にもあるとしている。それらのもっと詳細な著述は興味があれば一読をすすめたい。
その他にも、ポリネシア民族の太平洋への進出の歴史。その出発点が中国統一によって外に向かうことになった現在の福建省から南の地域、台湾の人たちだったこと。その他にもオーストラリアの4万年前に住み始めたアボリジニとニューギニア人の違い、ニューギニアでも高地地域に住む人たちと低地に住む人たちの違い。アフリカのサハラ砂漠以北の人たちとそれ以南の人たちの違いは認識していたがその南側の人たちも西海岸地域の二ジュール・コンゴ地域の人たちの南への移住があったことなど、新しく知ったことが数多くあった。
タイトルの「銃・病原菌・鉄」には「文字」も加えてもよかったのではないかと私は思う。確かにある民族が他の民族を征服していく大きな要因であるという意味でいえば、これで適切かもしれない。あまりにもボリュームのある本で多くの内容が書かれているので、ほとんどが著書内の抜き書きだ。これ以上簡単にまとめる能力が私になかったためである。
博愛的な著者の考えかたは理解できる。戦争は現代でも続いている。現代の戦争は中東戦争以降、ハイテクを取り入れたものに変化してきている。ロシアは社会全体の発展が難しく経済的にも技術的にもそれに追従できない状態になってきていた。理性などなく人類がコツコツと積み上げてきたインフラを破壊してしまうやり方は、人類の正当な進化や文化をを否定するものである。マオリ族の襲撃と征服と何ら変わりない。勝手な自己肯定理論である。人類はこれから退化の歴史を進むのだろうか。そこにも今日の文明の歴史をつくってきた社会に内在する多くの矛盾が要因としてある。
もうひとつ、現代の文明化された同じ国家や民族内における知的・経済的格差はどのように解釈すればよいのかを考えさせられた。もちろん別次元の話ではあるのだが。