ローマ教皇歴代誌

 『ローマ教皇歴代誌』を読み終えた。随分時間が掛った。何しろ厚くて重たい。朝のベッドの中での読書なので手が持ちこたえられない。2~3ページ読めればいい方である。以前に『ローマ皇帝歴代誌』という本を塩野七海の『ローマ人の物語』を読んでいるときにサブ読本として傍らにおいてよかったので購入した。

 ペテロ(この本ではペトロ)はキリストの生きていた時代からの弟子12使徒のひとりで、布教につとめローマまで流れてきた。ヴァチカンの地下にあったペテロの骨は60歳代のものとされ、キリストと同じ位の生年であっただろうと推測されている。多くの迫害に会いながらも辛抱強く布教活動をし、次第に信者を増やしていったようだ。そのペテロを初代として、カトリックの総本山であるヴァチカンの教皇、ヨハネス・パウルス2世までの265代(現在は268代フランシスコ)と言われる歴代教皇すべての本名、出身地、在位期間やできごと等が述べられている。図版も多く楽しめた。ローマ人はそもそも日本と同じで自然の中にやおろずの神が宿るような信仰でギリシャからの輸入の神から、英雄だった人間までも神にしてしまう社会だった。だから、キリスト教はず~と迫害を受け続けた。歴代皇帝も迫害の強かった時や割とほったらかしの時代を繰り返していた。私が敬愛するマルクス・アウレリウスは最も迫害が強かったと言われる皇帝で邪教扱いだった。彼の信条や哲学からすると当然のことだったと思う。後に4世紀初頭ローマが東西に別れ、東ローマがイスタンブールに首都を置くようになったころ、コンスタンティヌス帝はキリスト教を受け入れ、以降、国の運営(市民の掌握)に利用するようになっていく。イスタンブールもコンスタンチノープルと名を変えた。さらに476年に西ローマ帝国が終わり、東ローマ帝国はビザンティン帝国として1453年まで続いた。キリスト教も1054年に東側の東方正教会とお互いに破門するという形で東西に決裂することになった。今日のロシア正教会もその流れから分派したものである。西側はその後、教皇領という形で領地を増やしていき、権力も手に入れていくことになる。ルネッサンスのころは、アレクサンデル6世のボルジア一族が実権を握っていた時代で、その庶子であったチェーザレは、これも塩野七海の『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』が面白い。ダ・ビンチやマキアベリも登場する。都市国家になっていたイタリアを統一(全部教皇領に)しようとした野心家の壮絶な生涯の話である。ほかにも11世紀末から13世紀初頭までの4回にわたる十字軍遠征をした時代、14世紀末から60年にわたってヴァチカンから離反した(させられた)教皇が南仏アヴィニョンに宮殿を置き対立した時代、現在のドイツを中心とした神聖ローマ帝国に翻弄され続けた時代、13世紀のフリードリヒ2世が活躍した時代の皇帝と教皇の対立などこれもまた塩野七海の『フリードリヒ2世の生涯』が面白い。

 歴代教皇は短い人で2週間くらい、長い人で20年以上の人も数多くいる。在位が2年以上も空位だったこともある。日本に入ってきたイエズス会など多くの分派ができたが異端裁判で消滅させられたものも多い。それほどヴァチカンに対する反動があったとういう証しでもある。イエズス会も一時解散させられた時期もあった。1870年にイタリア王国が統一してから教皇の力は抵抗したにもに関わらず徐々に失われていくことになる。20世紀に入ってからは政教分離を明確にし、カトリックの統一活動や平和を訴える活動をしている。

 宗教も多くの人間臭いドロドロの変遷を経て市民権を獲得していったことがわかる。今問題になっている統一教会もロシア正教会も現代においてはなんとも生臭い話だが、それ以上の虐殺等を含む歴史をキリスト教も持っている。広めるということはそういうことなのかと思ってしまう。

 

 

 写真は3Dプリンターで作った、朝ベッドの中で本を読むためのサポート用ハンディ―書見台。なにしろ冬は寒くて両手を出していられないので、片手で持てるものを作った。但し、文庫と新書サイズのみ。