ウクライナ侵略

ウクライナ侵略について

今回はフォントと関係ありません。

 自分たちの文化や生活が一番優れているとしたら、そしてそれを世界に広めて理解して欲しいと思ったら、まず道を作り、地方に進出したら、そこの首長の息子をローマに送り、ローマ風の教育をしてまた戻すということをしていた。これは古代ローマ帝国の支配のやりかただった。そして何代か後、属国出身の皇帝が誕生するまでに至った。現代でいえば留学したいと思わせる努力をし、各地から受け入れたら、その後国に帰って習得した良い面を取り入れた国づくりをしてもらう。そうすることでファンをつくり仲間を増やしていくという方法である。今日のEUの基礎はこうしてローマ帝国がつくった。どうしてロシアや中国は大国だという意識があったならば、そのようにしないのだろうか。もしあなたの隣の家の人が子どもをさらい、部屋に閉じ込めていたらそれは誘拐監禁罪になる。また隣接する人が突然お前の畑はおれのものだと銃を持っておどしてきたらそれは不法侵入・窃盗罪(?)だ。こんなことを国が行った場合には許されるのだろうか。強制的に一方的に行うことはジェノサイドであり、侵略である。世界にファンをつくればおのずと皆が尊敬しフレンドリーになれる文化になるであっただろうに。何故?がどうしても生まれてくる。実は自分たちが一番だとは思っていないのである。

 ISSは一時アメリカのスペースシャトルが廃止されてからロシアのソユーズに頼らざるを得なかった。経済的な面からもロシアも協力し、ISSには多くの国の人々が行っている。宇宙から眺める地球に国境はない。多くの宇宙飛行士が言っている言葉である。ISSが今後も残りの10年位を平和裏に運営されることを願う。最近、大栗博司氏の「重力とはなにか」「強い力と弱い力」を読んで、あらためて理論やアイデアは積み重ねによって築き上げられてきたものだということがよくわかった。それを順を追って述べられていて、(数式はE=mc2のみ)特に20世紀はずっと続いてきた発見と発展の歴史だと理解できた。そしてそれは多くの国の学者が関わり、議論や会議の中から生まれたものもある。ノーベル賞は個人で一度に3人までとされているが、実際には多くのチームによって進んできている。この世界の真実を知りたいという欲求から進んできた理論物理学とそれを証明する実験物理学であるが、相互の競い合いや、矛盾を解決するために考えられたアイデアの蓄積である。このように進んできた理論物理学によって、ほぼ、この宇宙の5%を占める物質については解明できつつある。でも残りの25%位のダークマターや70%位のダークエネルギーについてはまだ説明できていない。ビッグバン自体も理論上のことでそのように矛盾なく説明できることから、理論が積み重なって進化してきたものである。その過程で電気や通信、宇宙への進出、GPS等々、さらにそれを進化させる数学や製造技術の力によっている。原子を形成する原子核と電子の世界から、原子核が陽子と中性子で出来ていること、さらにその陽子と中性子はアップクォークとダウンクォークからできていること、そしてそれはさらに小さい素粒子からできていること。物質を形づくる素粒子12個とその間の力を伝える素粒子として6個予言されていて約10年前その最後の素粒子としてヒッグス粒子は見つかったというより、確率から存在を確定されたものである。力を伝える素粒子はほとんどがスイスにあるCERNの運営するLHCという1周27km、地下100mに設置された実験施設で発見されたものである。その前の物質を伝える素粒子は多くがアメリカで発見されているが、アメリカでは予算がおりずに、LHCができるのを待つしかなかった。ちなみに日本にも戦争中にかなりの大規模な施設があったがGHQによって兵器とされ東京湾に沈められたそうである。力を伝える素粒子は実は5個までで、最後の重力子はまだ発見されていない。LHCは約400億円掛ったそうであるが日本は約3%を出したそうである。相応の分担で設備の納品も行われているそうだが、従来ない部品もあり日本も開発に関わり納品されて使用されているそうである。さらにその素粒子がどのようにできているかを説明することで物質と力の理論の統一ができるとして今も進んでいる。そのひとつが超弦理論である。大栗氏はこの理論の主要なメンバーである。科学の発達はこのように国際協力によっている。今はそうしないと実験できないほど大規模な設備が必要になってきている。何故そのようなものに大金をつぎ込まなければならないのかという批判はずっと付きものである。しかし、戦争につぎ込まれる費用はこの比ではない。また戦争によって科学技術が発展してきたことも事実である。しかし、大栗氏も言っているように科学がもたらす喜びは文学、音楽、美術と等価であると思う。このようなことに水を差さないように願いたいものである。また科学は人類を救うものである。

 それにひきかえ政治はまったく政治家個人の野望と保身ですべてが進んでいる。今世界の多くの政治家はスケールこそ違えど中身は同じである。私は政治は基本的にボランティアでよいと思っている。但し外交と防衛は別である。北欧の諸国ではそれに近いことが既に行われている。アフリカのルワンダでは民族間争いで大量虐殺おこなわれたが、今は女性議員が半数以上を占めて平和な社会にかわったそうである。また1億人以上の人口を抱え産業の発達している国はそれだけでは済まない発言力と行動力が求められるだろう。国が立ち行かなくなるのは経済的な要因が大きい場合が多い。それをごまかし暴力でおさえることはもはや不可能になっている。世界の多くの人々がもっと理性的に物事をとらえ幸福感を共有できるようになることが平和への一歩だと思うが、これを宗教に頼ることは難しいと思う。ローマ教皇も時代に応じ多くの科学的事実を認めてきたが、それを受け入れる人々が付いていっていない。ロシアのノーベル平和賞を受賞したドミトリー・ムラトフ氏は今回のウクライナ侵攻について「戦争を止める人は誰もいない。だからこそ、われわれは悲しみと共に恥を感じている」「プーチンは高級車のキーホルダーのように核のボタンを回している」「ロシア人の反戦運動だけがこの惑星上の命を守ることができる」と述べている。まさにそのとおりで、もうすでに原発に対する攻撃が始まっているそうである。恐ろしいことにならないよう祈るだけである。