モチベーション

モチベーションを保つこと。

 今、漢字を製作中だが、とめどない時間の必要を感じる。当初は希望も含め1年で1026字の教育漢字を目標にかかげたが、まだ半分にも至っていない。1日4字×250日=1000字が目標なのだが、実際には1日2~3字がいいところである。たまに4字できるときがあるが、翌日直すはめになることがあり、実際には遅々として進まない。また、他の仕事で全くできない日が続くこともある。

 アルファベットでは長くても2週間もあればできることもある。エドアード・ホフマンは1950年ころから自社での新しい書体の必要性を意識していた。ヘルべチカのデザイン作業をしたマックス・ミーティンガーは1956年の秋から取り掛かり、同年の暮れまでにはボールドがほぼできた。すぐにレギュラーに取り掛かりたいというミーティンガーに対し、ホフマンはそれを制し5月7日のフィニッシュまで微調整を続けた。そして1957/6/1~16までのローザンヌの”グラフィック57”での発表となった。当時としてもずいぶん時間をかけた作業だったと思う。ミーティンガーは1946から1656年までハース社でセールスマンをしていた。その後チューリッヒに転居し、デザイン事務所を設立していた。ハース社で書体のデザインもし、文字に対する鋭い感覚の持ち主であることを知っていたホフマンは彼に依頼することにした。このときの「ノイエ・ハース・グロテスク」はすぐに評判を得たが、親会社であるステンペル社に自動鋳造植字機用の新しい書体に採用するよう求め続けたが、1959年まで実現しなかった。ステンペル社はその後進行はしたがさらに親会社のライノタイプ社に全ウェイトのフォント一式を納めるという約束が遅れているといらだつ。ホフマンはライノタイプ社が最初から開発に関わると、自動鋳造植字機向けの新しいサンセリフ書体には興味を示してもらえず、このプロジェクトが水泡に帰す事にもなりかねないと考えた。最終的にはハース社の有能な社員の努力でライノタイプ社のディレクターを説き伏せて共同開発に持ち込んだ。

 ファミリー開発でのミーティンガーの関わりはレギュラー、レギュラーイタリックまでではないかと思う。ハース社は限られた時間でバリエーションを増やすために従来からあった書体をいじって「ブラック・エクスパンド」、「ボールド・コンデンスト」などを発売した。その後のヘルべチカの開発をホフマンはミーティンガーではなく、ハース社の若いデザイナーのアルフレッド・ゲルバーに依頼している。その後1983年にはステンペルがアメリカ向けと写植時代に合わせた「ノイエ・ヘルべチカ」として統一感を持たせファミリーを整理充実させた。さらに近年ライノタイプ社を傘下にしたモノタイプ社が「ニュー・ヘルべチカ」を発表している。サイモン・ガーフィールド著「私の好きなタイプ」(田代真理・山崎秀貴 訳)によると、『マックス・ミーティンガーは1976年にデザイン料を1回受け取ったきりで、そのあとは受け取っていないことを明かした。それは当時、書体デザイナーのほとんどが経験していることだった。「ステンペル社はこの書体で大金を得ているのに、私は恩恵にあずかっていません。だまされた気分です」と語った。その4年後、このデザイナーはほとんど一文無しでこの世を去った。』とある。

 今の私はミーティンガーの気持ちが痛いほどわかる。成功も評価も得ていないのにおこがましいが、何のためにこの作業を続けているのか。モチベーションはあるつもりなのに保ち続けることの難しさに自分でもくじけそうになる。アルファベットなら少ない時間で完了するところが、何年も掛かるとなると本当に難しい。エレメント処理の基本方針はあるのだが、時々統一されていないことに気づき、修正をしなければとなると呆然となる。そしてなにより続ける前に経済的破綻が見えてくるともう終わりかなと感じる。これが自分の限界で最大の欠点なのだと自覚する。

 今日は、くさかんむりの最後で「葱」と「韮」を作成した。ねぎ、にら、にんにくは私の三大好物である。「韮」はJISの第2水準である。「葱」はどういうわけか第1水準だ。これらを分類した人は特に大きな理由などなくこれらを分類したのだろう。この漢字を作成する必要は全く無いのだが、どうしてもこうやって脱線してしまう。「葱」には「心」があった。