パクリ-2
その後「パクリ」についてさらに考えさせられた。
一つは「悪意」があるのはいけないといったが、世の中には悪意を理解できない人もいる。また感じない人もいる。大体20~30人に1人はルールを守れない人がいると聞いたことがある。思い返せば小学校の時、ハンカチを忘れる子が必ず2~3人はいた。これはかわいい方だが、大人になってもルールを守れないというのは法律を守れないということに通じる。あおり運転もこの延長上にあるかもしれない。法律とまではいかなくてもマナーを守れないという人はよくいる。それは私にもいえることだが食事マナーなどで知らないからやってしまうということもある。全くノー天気で明るく何事も気にせずにできる延長上の人もいる。
それではどうしたら解決できるだろうか。これは自分に降りかかったらどうかと考えて嫌なことはやらない。という一番簡単な対処法方があるのだが、ほとんどの人はそんなことをしない。だからやっかいだ。後はやはり勉強や経験が必要である。中国の偽物には両方ある。守れない、知らないの両方だ。だから世界中で問題になるのだ。文化が成熟していくのには時間が掛かる。だからといって許される事ではない。文化大革命はどこまで文化を革命したのだろうか。文化は成熟が大事だということをまだ知らない人が多すぎると思ってしまう。
二つ目は翻案、パロディー、替え歌等の扱いだ。替え歌を個人や学校などで楽しむ分には良いだろうが、今はすぐにSNSに載せることで拡散する場合もある。注目度のある過激なものほど拡散してしまう。ポジティブなもを拡散、ネガティブなものを炎上というらしい。翻案、パロディーは映画、演劇、アニメ、小説等に多く、法律上の問題になり、専門家の判断を仰がなければならない場合もある。裁判になることもある。境界線がどこにあるかは専門家でも難しいそうだ。翻案の場合、原作者(権利保有者)の了解があれば一番良いがほとんどは勝手に作られてしまう場合が多いようである。しっかり原作を表示し翻案したものであることを明記するのも大事である。また模写、複写などは、一般的に許可されているところでの行為である場合が多いとは思う(昔ルーブル美術館に行ったときに模写をしている人たちを多数見た)が、これも商業目的になると違法である。最たるものは偽札、贋作絵画だ。時が何百年か経ち過去のことになればこれらもなぜ偽物ができたかを論じる要素にはなるだろうが、本物が現役の場合はお縄頂戴ものである。
たぶん「解決ゾロリ」は法律上は問題ないのかもしれない。でもこれは私がもし「NAX」を「Halvetica」とか「Helvtican」という名前にしていたらどうだろうかと同じだ。ヒンシュクをかうだけでは済まないはずだ。これも中国で実際に見た「Hounda」と付けたバイクを作るのと同じレベルだ。だから許しがたい。中国人も日本製が良いことは知っている。だから信じられない笑ってしまうような日本語のパッケージが数多く存在する。これも以前に書いたが私が学生の時には、いろいろと真似て描いてみることは良い。作者の考え方や意図やテクニックの深さがわかるからと。ただし社会に出たら、そのようなことは許されない。と聞かされた。商業ベースで真似てはいけない。精巧にまねてもいけない。