パクリ
偽物、真似っこには多くの表現がある。日本語でもその対象によっていろいろある。にせ、えせ、まやかし、いかさま、まゆつば、まがい、うそ、もどき、替え、そっくり、など。英語でも、copy, fake, replica, imitation, sham, counterfeit, phony, mimicry, impersonate, mock, duplicate, など。何故こんなにも表現がたくさんあるかというと、きっとそれだけ偽物や真似ることによるトラブルの歴史があったからだと思う。もちろんこの中には違法な模造だけでなく正統な複製の意味の言葉もある。どこからが真似なのかはなかなか判定が難しい。以前にも書いたが、自分が世界で最初に考えたアイデアだと言えるものは今の世界ではほぼあり得ないといってよい。それぞれの分野において前提になることやものがあって、それらの積み重ねやベースから少しづつものごとは発達している。でもどこかで必ずブレークスルーはある。いままでとは格段に違う発展を遂げるときがあるのだ。それらはそれぞれの分野でしっかり評価される必要があると思っている。
話は内輪だが、娘と孫達が夏休みを終えやっと帰ってくれた。テレビは子供たちの人気のアニメなどで占領される。その中に「解決ゾロリ」というのがある。数年前から人気なのだそうだ。内容はよく見ていないのでよくわからないが、これは我々が小学生の頃に流行ったアメリカのTVドラマの「解決ゾロ」の完全な【パクリ】だ。孫はおろか娘までオリジナルの話をしてもそれが偽物だとなってしまう。「今」が現実なのだ。しかもこれをNHKが堂々と放映しているのだ。私には恥ずかしくて悲しい話だ。所がもっと驚いたことにこの作者は私と同じ位の年齢だと分かった。「おまえは恥をしらないのか!」と言いたくなる。日本が世界にアニメ文化を輸出しているという一方でこう世界もあるのだ。
それでは、私がヘルべチカにインスパイヤされてつくったといっている「NAX」はどうなのか。まさに自己弁護になってしまうかもしれないが、これは「ヘルべチカ」に相当する同じイメージやエレメントからなる日本語の文字(フォント)が無いから、どうしてもつくりたかったのだとしか言いようがない。確かに日本においては通用するかもしれないが、エレメントの流用という点では真似の範囲かもしれない。例えをかえて見よう。中国での自動車産業はあらかさまな模倣から出発をしている。正規品とたがわずに似ている部品で組み立ててエンブレムのみ変える。時計やバッグなどは相当にいいレベルまで真似ているので見分けが難しい。自動車の場合は同じ形をしていても性能には雲泥の差がある。それほど難しいプロダクトだということだが、最近はデザインもオリジナルを作れるようになってきた。それでも性能はなかなか追いつかない。だからモーター化には非常に熱心だ。ヨーロッパがそれに拍車をかけているので、中国には追い風だ。それでも、モーター性能、電池性能はそれなりに難しくそう簡単に追いつけるものではない。特に安全、安心の概念のない中国は、世界に輸出できるものはまず当分無理だろう。だから国内消費のみであれば真似はよいのかというと、そうではないはずだ。世界中のブランドは中国でのビジネスを必要としている。また中国人といえども人権は保証されなければならない。より良い安全安心なものを使用してこそ文明の恩恵と言えるのだ。それがあってこそレベルの高い文化といえるのではないだろうか。そのような観点にたてば私の「NAX」は少しでも高いレベルに近づきたいという私の願いから言っても許される範囲ではなかろうか。もともと「ヘルべチカ」のベースとなった「アキツデングロテスク」と「ヘルべチカ」の違いもそう多くはない。ただ水平切り処理がここでブレークスルーになったのだと私は考えている。その後の偽物と皆に言われている「エイリアル」はあきらかに「ヘルべチカ」を標的につくられたものである。PC時代になり、DTPができるためには先に走っているアップルを追いかける必要になったのだ。ウインドウズ自体もマックのOSの真似だけど。ビジネス上の真似であり時代を乗り越えようとした変革ではない。ブランドバックや時計が高く売れているからつくるという偽物と全く同じ経済目的からの模倣なのだ。だからこそ偽物なのだ。同じことが日本語フォントの「ゴナ」と「新ゴ」の関係でも言える。ただそれは写植とPC上のフォントという時代の差だけだ。
「エイリアル」が偽物でどのような経緯でできたかは、「Helvetica」という2007年のドキュメンタリーインタビュー映画のDVDでエリック・シュピーカーマンが語っている。この映画は全てが私には参考になったが、非常に面白いのでその部分だけでも紹介したい。エリックシュピーカーマンは1947年生まれのドイツ人だ。タイポグラファーでデザイナー、ブレーメン美術大学教授だ。ベルリン、ロンドン、サンフランシスコに事務所を持つ。「ヘルべチカ」は完璧だと言いながらも批判的で、早口で毒舌家でもある。『私は敏速でうるさくめちゃくちゃだ。ドイツ人だから規則好きだけど規則一辺倒ではない。時間は守るけど1年遅れなんだ。……「エイリアル」はクズだ。ジョブスがマックに入れた「ヘルべチカ」などに対抗して、フォントを入れることになった。マイクロソフトはライノタイプ社にロイヤリティーを払いたくなかったからモノタイプ社にデザインを頼んだ。完璧なものは変更しても良くなり様が無いよ。私なら断るがロビンとパトリシアは断れない。モノタイプの社員だから。同情するよ。「フルティンガ―」でも同じことをやった。知っているデザイナーだよ。もうたくさんだ。マイクロソフトは悪党だ。知的財産を軽んずる卑劣漢だ。ライセンス料を払えない訳がない。ろくでもないよ。数千ドル積まれたら私の意見も変わるかも。買収されるかもしれない。ただ私には依頼は来ないね。今ひどいことを言った。』数千ドル?わずか数十万円じゃないか。顔の変化が激しく冗談を挟みすぎるの人なので少しだけ時間がかかった。
「パクリ」には悪意が込められている。発展していく際に悪意の有無は非常に大事な要素ではないだろうか。やはり許されないことだと私は思う。「ぱくり」には詐欺、盗み、万引きなどの犯罪や、それを逮捕するの意味もある。つまり悪意があってだまして人のものをとる行為をいうのだ。悪意があり正統な発達を目的としないものは【パクリ】だ。だからパクらなければならない。