フォーマルについて3
写真は私の愛用ジーンズで漂白洗濯したものだ。ほぼ半世紀近くエドウィンのストレートだ。時々浮気をしたがはきごこちがしっくりしない。リーバイス、ラングラー、リー、ユニクロ、エドウィンのストレッチデニム、皆このゴワッとしてしっかりしたはきごごちがない。このように自然に擦れ感が出てきて藍が薄くなるのがいい。これ位がちょうど頃合いの良いときだ。それをわざわざストーンウォッシュやサンドブラストで果ては破れた状態のものまでつくり、ビンテージ感を出すというのは気に入らない。それがまた高級ブランドで高級なプライスまで付いているのにはびっくりする。以前に弱い漂白のストーンウォッシュのデニム地のジャンパーを着ていたことがある。色合いがすごく気に入っていたが、あまりにも寿命が短かった。最初から袖口などは糸がほつれるのではないかと思う程だった。どうしてそいうのがいいのだろう。毎日のようにはいていたら自然に風合いが出てくるのに。人によって仕事のよってポケットに入れるものによってそれぞれ擦れ具合が違うはずだ。それが本当の味わいというものだ。昔はジーンズ以外は擦り切れたものなど捨てるしか道がなかったのに。そういう意味では今は穴があくまで、あいてもつくろってまだ作業着にしてそれから一生を終えられる。私のジーンズ達は皆そうである。そのすり減った部分を最初から茶色や赤ぽいものや黄色ぽい色に染められているものもあるがそれらはどうしても好きにはなれない。藍のベースも赤っぽく汚い色だ。だから私は色物漂白剤で摺れてきた部分をなるべく白くするのが好みなのだ。最近の若い女の子は皆髪を染めているが、ムラサキというのを使用するらしい。染めた髪が黄ばんでくるのを目立たなくするためらしい。黄色の補色である紫を使うのは自然なことだ。髪はそうなのに、何故ジーンズはわざわざ茶色にするのだろうか。汚さを強調するだけのようにしか受け取れない。まあファッションとはそのようにして変化を求め続けるしかないのかもしれない。グラフィックの世界も同じである。
その昔、池袋西部にLOFTが開店する準備中に仕事で行くことがあった。社員たちは皆ジーンズで作業をしていたが、そのジーンズにはスラックスと同じように縦に折り目アイロンが掛かっていた。今では笑い話になってしまうが、当時の社員はきっとそうしないといけない状況に置かれていたのだ。よく考えると今でもそのような従来からの慣習に縛られた基準でものごとを見て判断するということから脱しきれていないこともある。なかなか自然に振る舞い、表現するということは日本では難しい。ある意味では急激な変化を受け入れながら、逆にお堅い役所系ではフォーマルという概念もそう簡単に変化するものではないことを実感させられる。革新と保守はいつもせめぎあいながら進化していくものなのかもしれない。