モダン・タイポグラフィ

 「モダン・タイポグラフィ―」(ロビン・キンロス著、山本太郎訳)を読み終えた。

結構大変だった。この本はessay(翻訳では試論となっている)と言いながら論文みたいなものだ。どうもこの手は苦手なので時間が掛かった。「モダン」について詳しく調べ述べている。西洋において15世紀から始まったタイポグラフィはいったいいつからモダンといえるのか。これにたいし著者は職人的技巧芸としての印刷から製作物全体を設計して指定を行う時点をタイポグラフィにおける「モダン」として18世紀からとしている。目次は1.モダン・タイポグラフィ 2.啓蒙主義の諸起源 3.19世紀という複合体 4.反動と反乱 5.新大陸における伝統的な価値 6.新しい伝統主義 7.ドイツの印刷文化 8.北海沿岸の低地帯諸国の印刷文化 9.ニュータイポグラフィ 10.モダンな人々の移民 11.終戦直後の状況と復興 12.スイスタイポグラフィ 13.モダニズム以降におけるモダニティーとは 14.実例(多くの図版)という内容になっている。

 最初にスイスタイポグラフィから読み始めた。ヘルべチカなどどこにも書いていない。でもマックス・ビルなど知っている名前が出てきてそれなりに読めた。続いて最初から読み始めたが、15~18世紀は何も知らない状態なので、ほとんど頭にはいってこない。いろんな人の著作や理論が本当に細かに調べて紹介されている。印刷は1450年のグーテンベルグから始まったのは周知だが、20世紀以降でないと私にはすっきりしてこない。だから随分てこずった。著者はイギリス人だがやはりヨーロッパはローマが統一してからずっとヨーロッパとしての一体意識があるのだとあらためて思った。紹介されている多くの人がヨーロッパを移動して仕事をしている。イギリス、ドイツ、スイス、オランダ、ベルギー諸国そしてアメリカのそれぞれの独自性は近代になるほど明確化されてくるが、もともとはそんなに差異がないのではと思った。アールデコ、バウハウス、などもさりげなく通り過ぎている。モダンとは何かを執拗にこだわり追及している。そして戦争や政治体制による変化がいかに大きいがあらてめて認識させられる。日本人にはなかなか知りえない詳細な歴史が述べられていて、飛び飛びにしか知らなかったことが歴史とは脈々とつながっているのだと実感させられた。タイポグラフィを論じているが、それを通じてデザイン全体、生活様式の変化やモダン化は連動しているのだと認識させられた。文字とそのカタチの変遷は世の中の変遷と全く一致している。

 日本においての活字から写植、DTPへのハードの変化はそんなに時間をおかずに導入されている。でもその中におけるソフト部分、タイポグラフィ理論は全く違う発達をしてきたことをあらためて感じる。今でこそ世界標準のアルファベット以外のタイプ(アラブ語、中国語、ハングルなど)がパソコンに標準搭載されているが、本当にこの15年位のできごとなのだ。中国やアフリカ諸国が固定電話無しにいきなり携帯スマホ文化に移行しているのと同じだ。そこの違いに文化の深さがあるのだとあらためて感じた。人間の対応力には時間が必要だ。時間やおだやかな世代交代こそがより良い深みのあるものを表現できるものだと確信している。

 訳者の原語の読み方はたぶんかなり正しいのだと思う。今までかってに呼んでいた書体名称がかなり違っているのに驚いた。たとえば「フーツラ」は「フトゥーラ」と表現されている。パウル・レナ―は他にもデザインした有名なものがあったのかと一瞬思ったほどだ。