NASAのワームロゴ
明朝体が読めない、頭に入ってこない、という人たちがいることをご存じだろうか。ディスクレシアという学習障害の症状がある人が存在する。知的能力や一般的理解能力等には問題がないのに、文字の読み書き学習に困難を抱える障害である。俳優のトム・クルーズやジョージ・W・ブッシュ大統領などが知られている。英語圏では1割位はいるのではないかと言われている。日本でもこの障害を抱えている人がいる。冒頭の明朝体が読めないと告白した方もこの障害の一種ではないかという。ゴシック体では問題がないそうである。その方は電子書籍やWebページもゴシック体にフォントを変えて読んでいるそうである。
私がゴシック体(サンセリフ)にしか興味がわかないというのは、これとは少し違う。明朝体には筆文字時代から引きずっているセリフがあるからだ。セリフとは装飾とも解せる。つまり装飾が嫌いなのだ。もうひとつ理由がある。いまの明朝体のひらがなに関していえば縦書きの続き字で表現されていたものを活字にするために切ってできたものである。漢字は漢文で書かれたものを印刷するにあたって木版活字にするところからはじまっている。そこから最初にできた印刷用活字は明朝体である。金属活字になっても明朝体の本文用と見出し用の2種類しかなかった。ゴシック体ができたのは昭和になってからである。今でも一般的な書籍はすべて明朝体の縦書きである。正式な文書ほど明朝体のことが多い。以前にも書いたが私にとって明朝体=体制的、保守的のイメージがぬぐえない一面がある。つまり押し付けられる、強要されるというイメージが先行してしまうからだ。被害妄想だと笑わないでほしい。これが全ての行動の動機となっている一面がある。ノーベル賞を受賞した中村修二氏はこのように言っていた。「私の原動力はアンガーである」と。つまり認めれなかった業績や評価に対する怒りが原動力となっているからだろう。この時この人はなんて不幸な考え方をするのだろうと思ったことがある。でも自分にも当てはまっているではないか。自分だって同じように思っている時があるとふと感じた。それがこの「明朝体には興味がない」ということにつながっているような気がする。
私は雑誌の「ニュートン」を時々買う。興味のある特集があるとつい手が伸びてしまう。10年位前は、表紙や見出しだけだった「新ゴ」が本文にも使われだしてから特に好きになった。とって置きたいものになった。それが去年一冊買ったら、本文は明朝体、見出しも昔ながらのゴシック体になっていた。確かに数学や物理の式を表現するのには向いていないかもしれない。そこだけは従来でも明朝体やロマーン体だった。でもちっともありがたみのない捨ててしまいたいものになってしまった。特集内容もつまらない表現に見えてくる。頭にはいってこない。これと似た現象に「NASA」のロゴがある。1958に設立され、翌年通称「ミートボール」と呼ばれるロゴになった。1970年代にこれも通称「ワーム」ロゴのNASAが発表された。ニクソン大統領の主導で「US federal design Improvement proguram」政策の一環でできたものである。しかしわずか20年の寿命だった。手続き上のミスでNASAの職員の反発にあい、それを引きずっていたようだ。今はまたミートボールロゴになってしまったが、私はワームロゴが好きである。先進性や夢を感じる。スペースシャトルに書かれている文字はもちろんヘルべチカである。1977年に打ち上げられたボイジャー1&2号は、時期的に考えると今もワームロゴのNASAを携え飛び続けていると思う。今のスマホの1/7500の能力しかないそうである。太陽系について多くの詳しい情報をもたらしてくれた。地上ではすでにワームロゴが無い。故郷の事情も知らずひたすら飛び続ける。もうすぐ電池も切れ通信不可能になる。でも夢は飛び続ける。地上ではどうしてこうも回顧趣味に走り退行するのか私には理解できない。でもここにきて2024年に月面着陸を目指す「アルミテス計画」では復活するとの情報もある。是非また前を向いて復活して欲しい。