フォーマルについて
私が書体のついてフォーマル性をよくいうので少し説明したい。フォーマルというと服装でいうと正装とイメージされる方が多いと思う。でも私の言っているフォーマルはそのような正装ではなく、清楚で飾らないが洗練された失礼のない程度の服装の意味で、正しくいえばインフォーマルということになるかもしれない。つまり格式張って形式的、儀礼的なものを排しても公式な案内などに使用できることを言っている。服装で言えばノーネクタイで正式な集まりに行っても失礼のないような気品と清楚さを感じさせるものということになる。屁理屈のように聞こえる方にはこれ以上いっても通じない話である。私が何故サンセリフ体にしか興味がないかというと「明朝体=儀礼的」の図式があるからだ。これは私の偏見なので、正しいと主張しているわけではない。事実、「ヘルべチカ」がアメリカにおいては使われすぎてそのように言われてしまった時期もあった。イメージは変化していくものである。
30年ほど前(1991年頃)、アメリカに行ったことがある。妻の弟一家がロスアンゼルスに駐在していたので遊びにいった。いろいろ文化の違いに驚いたがその中で服装のことがあった。自転車に乗るときはサイクリング用の服装をしている必要があること、ランニングするときも同じ、何故そのようにしているかというと、普通の格好をしていると浮浪者か違法移民者と勘違いされてしまうと聞いた。そして会社でも黒人や他の人種でも一定程度雇用するという方針から社内にいるのだそうだが、弟はデザイン部門だったのでジーンズにポロシャツという恰好だったが、黒人などは大体ネクタイを締めてスーツを来ている人が多いと聞いた。何故なら自分がホワイトカラーでしっかりとした職業であることをアッピールする必要があるからだと聞いた。当時でも治安に対する気の使い方はかなりのもので、サンフランシスコでタクシーに乗ったと言ったら、私たちはタクシーにも乗ったことがないと言っていた。ショッピングモールに行っても、駐車場内を店から店に車で移動するのには驚いた。市内に入ると車はロックを掛けるなど徹底していた。その後、日本に帰ってから私もジーンズに普通のシャツ、ブレザーという恰好になった。擦り切れたものはさすがにはかないように気を使っている。ネクタイも鞄のなかにずっと入れっぱなしだが一度も使ったことが無い。当時アメリカではGAPがはやっていてカジュアルの定番だった。その後まもなく日本にも進出してきたが、あっというまにユニクロに席巻されてしまった。私もこちらに引っ越して以降はジーンズと靴以外は全てユニクロになってしまった。だんだん中高年に席巻されてしまったために若者向けに方向転換を計り一時変なものも増えたが、機能性商品を増やしてきてまた落ち着いてきた感がある。1998年頃だったと思うが新聞全国紙で「山口から世界へ」という文字だけの全面広告を見た。衝撃的だったが何を売っているかさえ分からなかった。その後新宿に店舗ができてはじめて分かった。
自分で個人事務所をやるようになってからはほとんどそのようなカジュアルな服装だったので、依頼先の会社に行ってもうさん臭くみられることも多い。口には出さなくてもよくわかる。私がまだ社内デザイナーだった頃にあるデザイナーと契約していた。私が月給20万円も無い頃に100万円だった。いつも良い恰好でシルクのシャツのクリーニングの話などを自慢していた。自分が当時感じたような気持ちはお客さんには感じさせないように心掛けてきたつもりだが、それが正しく伝わるとは限らない。だから私のいっているフォーマルのイメージも正しく伝わるかは難しい。
ついでにいうとユニクロのロゴは現在のものは、佐藤可士和氏のものだがいつ見ても違和感を感じる。わざとそれを意識して素人が見てもそう感じるようにあえて創ったものだそうだが、私は好きになれない。そこにフォーマル性とニュートラル性が無いからだ。