NAXアルファベットについて

NAXアルファベットについて

 アルファベットは基本的に「ヘルべチカ」を使用して欲しい。そんなことを言いながらウェイトの調整とか全く無視してしまっている。当初のプランでは「ヘルべチカ」はもちろん他の日本語書体の太さも比較検討したのだが、実際に作業に入ってからは無視状態だった。たぶん「ヘルべチカ・ノイエ」とそんなに遠からずの所にあるので使用できると思っている。日本語とアルファベットを考える上で一番問題なのは、ベースラインをどこに設定したらよいかだと思う。結果的にアルファベットのベースラインを少し上げてしまったので、揃いに不自然さがあることと、文字の大きさに差がでてしまったことは否めない。デッセンダーラインがあることで行間を必要以上にとる必要がでてくる。そのため、デッセンダーラインもあまり下にはみ出さないようにした結果である。本当はデッセンダーラインを十分にとったほうが落ち着いたきれいな文字ができると思っている。特に『g』とか『y』はそのように感じる。その意味でちょっと詰まった感じは否めない。基本は「ヘルべチカ」に順じた処理であるが、小文字の『g』は前述のデッセンダーラインのはみ出しを少なくする目的で横切ではなく、縦切りのエンド処理とした。『d、l、q、u』は『a』のように次の字へ続くセリフを設けてある。右側にある縦線には付けることにした。『l』は以前に述べたように裏面から見たときの違いを出したかったことと大文字の『I』との誤読を避ける意味もある。『c、e、s』もカウンターを広くとり、小ポイントや遠くからの誤読を避けるために空いている部分の間口を広く取ってある。このことで「ヘルべチカ」の持っている優雅さがスポイルされてしまった感がある。「フルティンガ―」は特に今世紀にはいってからは多くの公共の場所で使用されてきた。この書体の基本はエンドの縦切り処理にある。このことで長い単語には表記性が向上し、可読性も向上している。もともとドイツ語は長い単語が多く、ページの節約のためにも文字幅が狭いものが求められる傾向がある。「フルティンガ―」風の処理は現在も多くの書体にみられ主流になっている。そのような観点から見ると中途半端な面があるかもしれない。『Q、R』も右に流れている線は変えてある。決してこれがベストだという訳ではない。『J、L』は少し幅を広くしてある。日本語に準じて文字幅に差を設けたくなかったからだが、これも必ずしも良い選択だったかは悩むところである。

 アルファベットで好きな書体の中に「オプティマ」がある。1976年頃初めてヨーロッパに行ったときに、ローマのフォロ・ロマーノの遺跡を見たときに、なんてきれいな文字なんだろうと思った。CやN、Oは広くSやEは狭かった。それが自然に見え整然と並んでいるのを見て感激した。2000年以上前に彫られた文字だが、今でも十分にきれいだ。その文字に忠実なのが「トレイジャン」だが、そのセリフ部分を取り、でも線の端部を微妙に太くしてセリフのイメージを残して優雅さを感じさせるアレンジをした文字がヘルマン・ツアップの「オプティマ」である。もともとローマ時代には小文字が無いので新たに作ってある。(余談だがJはこの時代には無かった)大文字だけで組んである方がきれいだと思う。「フーツラ」もまた「オプティマ」とほぼ同じ骨格である。文字の太さが均等でその処理がジオメトリックなのでモダンに見えるが、長い歴史を耐えぬいた美しさを内包している。エックスハイトが低いので小文字が小さく見えるが、アセンダーラインが高く、デッセンダーラインも低いので上下にのびやかな文字となり、「トレイジャン」に小文字があればこのような骨格になっていただろうことが推測できる。「ヘルべチカ」はこの点アセンダーラインとキャップラインが同じ高さなのでこのようなのびやかな自由さは無い。しかもエックスハイトが高いので小文字の割合が大きい。同じように比較されがちの「ユニバース」はエックスハイトが低いので小文字が「ヘルべチカ」と比べると小さい。ここに訴えかける強さに差があるような気がする。

 図は私がよく引例を引く代表的な書体である。一番上が「ヘルべチカ」で順に「アキツデングロテスク、フォリオ、ユニバース、オプティマ、フーツラ」それと参考のためにセリフ書体の代表として「タイムズ」を載せてある。各ラインの説明のためにキャップハイトを揃え、「ヘルべチカ」のラインをその他の書体ににかぶせてある。エックスハイトが「ヘルべチカ」以外はみな小さいことが分かる。「フルティンガ―」と「トレイジャン」も載せたかったが、持っていないので、残念ながら紹介できない。またこれらのうち、いくつかは現在はリファインされた新しいものに置き換わっている。

 できればアルファベットと数字はもう一度やり直したいと思っている。