写研書体をモリサワと共同でデジタル化
2021/1/18に両社から発表された。遅きに失した感は否めない。が、1980年代に最盛期を築いた多くの優れた書体がデジタル化で復活されることは喜ばしい。亡くなった方をさらに責めるのは酷であるのは承知だが、石井裕子社長のかたくなな頑固さで会社をつぶしてしまったのも同然だ。1986年にアドビ社よりポストスクリプトフォントの制作をもちかけられたが、それを拒否したことから全ては始まった。時代の変化を読み切れなかった経営の間違いの典型としか言いようがない。現在活躍している多くの書体デザイナーもここから独立した方も多い。歴史に『もしも…』は無いが、考えてしまうことである。写研とモリサワは言わずと知れた写真植字機から出発した会社で、そもそもは石井茂吉と森澤信夫が起こしたのが写研である。戦後まもなくたもとを分かち大阪ではじめたのがモリサワである。写研が拒絶したデジタル化を進めたことによりあっという間に逆転し、業界のトップになってしまった。
「ヘルべチカ」も同じような運命に翻弄されながらも生き延びてきた書体だ。ハース社から発売されたが、ハース社はシュテンペルの管理下にあった。そしてシュテンペルもライノタイプ社の傘下にあった。シュテンペルの営業がアメリカに売り込むために改名をもちかけたそうである。それが「ヘルべチア」だったがホフマンは書体に国名(ヘルべチアはスイス地方のラテン語名)を使うのは良くないとし「ヘルべチカ」になったそうである。ハース活字鋳造所は1580年創業で活字業界では相当古い。1989年に閉鎖された。活字業界も木や金属から直接製造してきた歴史からベントン彫刻機、その後自動鋳造へと変化していった。ライノタイプの名称は(line-o-type)という一行ずつのかたまりとして鋳造したことからきている。モノタイプは1本づつ鋳造したところからきているそうである。ライノタイプは多くの出版をする新聞などで普及したそうである。モノタイプのほうが町の印刷所等に普及していき、あっという間に大きくなっていった。ライノタイプはドイツ、モノタイプはイギリスに本社があり、ライノタイプ社のほうが設立は少しだけ早い。その後書体設計と営業にも力を入れ両社とも成長した。「ヘルべチカ」も一時はモノタイプの自動鋳造活字に使われたほうが多かったらしいが、その後ハース、シュテンペルからライノタイプに所有権が移り「ヘルべチカ」をはじめとして多くの優れた書体を保有するに至った。アップルのスティーブ・ジョブスはマックを発表するに際し、良いフォントを組み込みたいと考えた。そのなかに「ヘルべチカ」もあり、ライノタイプ社にコンタクトした。当初のマックの試作品はフォントだけでなくしゃべることもできたとライノタイプ社の元役員は言っている。その時にさんざん悩んだが許諾した。それが今日のPCでDTPが可能になった始まりだろう。当初はビットマップフォントだったが、アドビ社がポストスクリプト技術を開発し、レーザプリンタに出力できるようにした。アドビはすぐにアップルに売り込み提携した。マイクロソフトもウインドウズ時代になってからフォントを組み込むことになったが、「ヘルべチカ」「フルティガー」もライノタイプ社に使用料を払うことにけちったためにモノタイプに偽物をつくらせてしまった。このライノタイプ社もモノタイプ社の傘下になってしまった。「ヘルべチカ」も「ヘルべチカ・ナウ」となり、モノタイプライブラリーに収められている。世の中のM&Aもなぜかむなしく感じてしまう。
今回の写研書体もこのような流れと同じなのだろうか。会社は変わっていっても書体文字は生き残っていってほしい。それが最大の救いだ。