NAXについて-1

NAXについて-1

 「21世紀に間に合いました」というキャッチコピーはプリウスのものだ。「NAX」の発表もなんとか2020年内に間に合わせたかった。ということでなんとかセーフで少しだけ小休止。なにしろ草刈りや,薪の準備、庭木の手入れ、車のメンテナンス,週に3回以上の食事当番等、日々こなさないと暮らしが成り立たない。もちろん収入元の確保のための仕事も続けなければならない。それらの合間を縫ってこの2年まとめてきたからである。そもそも、この「NAX」は、私が書体に興味をもち具体的なイメージをいだくきっかけとなった「ヘルべチカ」に出会ったことからはじまった。

 「ヘルべチカ」とは1976頃に出会った。既に発表から20年経ち世界中に広がっていた時代である。その「ヘルべチカ」の50周年を記念してまとめられた「Helvetica forever」という本の日本語版の帯に『ヘルべチカで日本語は組めないのですが…』という一文がある。実はこれこそが私が50年以上前出会ったときに最初に思ったことである。それから事ある度に試作を繰り返し、1980年代にモリサワ賞に応募したこともあるが自分でもものにならないレベルだと自覚した。本格的にはじめたのは20年位前からである。そしてモリサワのタイプデザインコンペテション2016年には漢字があと少しで間に合わず、2019年のに応募した。残念ながら入賞はかなわなかったが、ファイナリストには残った。スタッフの誰かが評価してくれ最終審査まで進んだわけだからそれが救いであり嬉しかった。それから2年近くかけ多くの修正をした。一番には、HeavyとBlackの太さをより太くし、すきまは逆に広くし小さいポイントに対応した。次は多くの文字を見直し約3割近くを修正した。又、漢字は100字位作成してあったが、すべてのエレメントルールを見直してやり直した。また全体に試し組みをした後でも修正をほどこした。そもそもエレメントルールを作り、それにのっとって作成したものの無理のある文字も当然あり、その見直しと修正に多くの時間を要した。

 「ヘルべチカ」の発表された1957年頃までの時代背景と発表までの経緯を簡単にまとめてみた。エドアード・ホフマンというハース活字鋳造所の代表者が、ハース社を辞め独立しデザイン事務所を開いていたマックス・ミーティンガーに依頼し、当時評判の良かった「アクツィデンツ・グロテスク」と比較しながら進めた。すっきりとした、主張しすぎない新しいデザイン書体が求められていた時代背景を読み、製造を計画したホフマンが何度もダメ出しを出しながら修正を加えて、ミーティンガーが完成させたものだ。すぐれたディレクターとデザイナーの関係である。「アクツィデンツ・グロテスク」は19世紀末に開発され、当時スイスで評判の良かった書体であるが、その前の時代の名残がまだ色濃くあった。グロテスクという名前はサンセリフのことで日本ではゴシック体と呼ばれている。19世紀末から20世紀にかけて少しずつ市民権を得てきたもので、それまではグロテスクと呼ばれ軽視されていた。1919年にドイツのワイマールにできたバウハウスでは近代デザインの基礎がかたち作られた。1933年にナチスによって閉鎖された。バウハウス運動の中から生まれた書体がいくつかあるが、「フーツラ」が代表である。1923年バウハウスの講師をしていたパウル・レナ―によって発表された。ジオメトリックデザインで構成されている。この書体も優れていて評判も良かったが既に飽きられたところもあり、皆が使うまでには至らなかった。先進的すぎたのかもしれない。そこをよく捉えていたホフマンはマーケティング能力にもすぐれていて地道に進めていった。そして1957年の夏のローザンヌで開催されたグラフィック57という展示会で「ノイエ・ハース・グロテスク」として発表した。ハース社の新しいグロテスク体という意味である。20ポイントのボールドの活字だった。それから約2年位でスイス中に広まっていった。レギュラーとブラックのファミリーや他のサイズも追って開発され1961年頃まで掛かったそうである。同じ展示会で「ユニバース」も発表されている。ほぼ同じころ「フォリオ・グロテスク」も発表されている。「ユニバース」はシステム的に考えられ、やはり今日まで広く使用されている。私には少し冷たい感じがする。作者のアドリアン・フルティガーはつい最近まで健在で、「フルティガー」や「OCR-B」をはじめとした多くの書体を発表している。「ノイエ・ハース・グロテスク」はその後「ヘルべチカ」と名称を変え世界に浸透していった。現在ある「アクツィデンツ・グロテスク」も「ヘルべチカ」の影響を受けリデザインされたものになっている。その後、デジタルフォントの時代へと変わっていく中で、「エイリアル」という偽物も出た。この書体を「ヘルべチカ」と重ねるとほとんどのそっくり重なる。でも小文字の“a”を見ると分かるが端部が水平処理になっていない。これこそが「ヘルべチカ」の持つ最大の特徴であり、まねができていない一番大事なポイントである。あえてにせものを作ったのだ。だからこそ似て非なるにせものなのである。海外でもはっきりそう言っている人とノーコメントの人がいる。にせものの主張が通ったともいえる裁判で「エイリアル」は勝った。その後も「フルティガー」に対してのにせもの「シーゴ」もつくった。マイクロソフトとアップルの、文化やクリエイティブな評価に対する基本姿勢の違いからくるものである。「ヘルべチカ」は使われすぎて一部のデザイナーからは空気のような存在だとか、画一的すぎる、面白くない、ファシストだとさえ言われたこともある。それでもこれほど読みやすくニュートラルで主張しすぎず、信頼のイメージを持つフォーマルな書体はない。最近、パワーポイントで作成するプレゼンに「メイリオ」を使うのをやめようというコピーを見た。一時の「ヘルべチカ」のような状態だ。新しさだけをもとめ、一般化したものを陳腐化させようとする意図だ。新しいものが何かというと実は決して新しいものではなく懐古趣味的に走ることもある。要は変化を求め続け、それに対応したものだけが生き残るという構図だ。

 さて「ヘルべチカ」のエレメントの特長であるが、線の初めと終わりを水平処理を基本としている。そもそもは線の端部はその初めと終わりに沿った角度にするのが自然である。そのほうが勢いも表現できる。しかし先のバウハウス運動にもあったようにジオメトリック処理というシンプルな考え方が生まれた。その時代の流れに水平処理もあったのではないかと思う。その処理をしただけでも古典的な書体に新鮮ささが感じられるようになる。ベースが信頼度を持つサンセリフ体であるだけに新しさと信頼度の両方を手に入れたのかもしれない。「ユニバース」「フォリオ」はそれらを求めていた時代背景から同時期に出てきたものといえる。しかしそれらを見較べるとイメージの違いがすぐにわかってくる。その違いが水平処理とカーブ、縦横の比率の違いだ。小文字の“a”の下の丸み(しずく部分)のはじまりである付け根がカーブからはじまっているのが特に特徴的だ。

C,G,J,K,Q,R,S,a,c,e,f,g,j,k,r,s,t,1,2,3,5,6,9がその特徴を現している。ミーティンガーが最後までこだわった文字が“a”と“R”、“G”だったそうである。“a”と“R”はホフマンが不要だと言ったのに確定し発表した後に差替えたらしい。“a”は確かに最終組見本ではしずく部の付け根がR始まりではなく、どんと付いた状態になっている。“1”の上部の入筆部が水平処理になっているものもほかにはない。共通処理の概念だけでまとめられていない人間臭さが感じられる。それこそが「ヘルべチカ」たらしめている特長だ。

 残念ながら日本語ではこれらの水平処理にできない要素が多い。特に漢字、ひらがなは難しい。そこで水平だけでなく、垂直切り処理も加えイメージの統一を図った。2000年代初頭に中国に仕事で1年位行ったことがある。その時に香港で端部の水平垂直処理の漢字を見た。それなりに不自然さを感じさせない良い書体だと思った。サンプルをとっていなかったのが悔やまれる。日本以上に英文が使われ浸透している中から生まれたものだと思った。また日本語の書体の中で私がここまで進めてこられた影響を受けた書体をこれから述べる。それらのエッセンスは生きている。

 私が最初に印象に残ったのは「タイポス」である。モダンさを打ち出し、エレメントにルールを採用した最初の書体である。水平ラインを生かした従来にない新鮮なものだった。数字を付けたファミリーバリエーションネームは「ユニバース」に似ているが意味は全く違う。「タイポス」のほうがシステマティックに考えられている。私としては「オプティマ」のイメージだった。次に印象に残ったのは中村征宏氏の「ナール」である。この書体の持つ従来無かった字づらの大きさとふところの大きさは衝撃的だった。字詰めの必要が無くもちろん可読性も抜群だった。その同じ中村氏による「ゴナ」はさらに衝撃的だった。やっと「ヘルべチカ」と組める日本語書体ができたかと思わせた。しかし「ゴナ」の数字を見るとわかるがどちらかというと「ユーロスタイル」の流れだった。「ゴナ」のにせものは数多く出現した。その理由は「ヘルべチカ」のせものとはまた違う理由もあったがそれはまたいずれ。その後にインパクトを受けたのは佐藤豊氏の「ニタラゴ」である。この始筆,終筆の水平垂直処理にはやられたと思った。本当に優れた書体だと思う。カーブの美しさも絶品だ。作者の優しい性格も現れていると思う。だが漢字にはこの水平垂直処理はなされていない。それだからこそこの漢字を共通で使用できる多くの書体も生み出された。だがしかし私にとってはまだ「ヘルべチカ」と組める書体ではなかった。もっと近づきたい、もっと自然な調和とニュートラル性が欲しいの一心で取り組んできた。モリサワの応募にも書いたがエレメントモジュールに基づきできる限りシステマティックにまとめたい。ジオメトリックだけではフォーマル性に欠けるところを私なりのバランス感覚で変容をまとめる。という方針で進めてきた。

〇線の端部は水平・垂直処理を基本とする。

〇よこ書きを基本とし、文字の流れを重視する。

〇統一できるエレメントは共通化をはかる。

〇ひらがなの上部側はモジュールに基づいた水平線に集約し、下部側は、まるみを持たせ、やさしさと流れを表現する。

〇フォーマル性があるように、理性・知性・品格・信頼性を表現する。

〇可読性を上げるために、手書きの良さをなるべく取り入れ、字づらとふところを大きくとり、ゆとりのあるイメージにする。

〇漢字はできる限り画数のわかりやすを表現する。教育漢字を基本とする。

 これらに基づき作成した。なるべく例外のないことを目指すが、所詮無理というもの。モジュール概念を打ち出したコルビジェでさえ自身の「モデュロール」に無い寸法は記入しなかったといわれている。個々の文字については追って説明していきたい。