フォント・文字・日本語のあれこれ-2

当用漢字から常用漢字への移行

 教育漢字という範疇があり、1026字ある。文部省の改定のたびに増えていく。常用漢字という範疇もあり、現在2136字ある。常用漢字は中学までに習得し、その後の教育や漢字表現はルビをふる方法で良いことになっている。常用漢字の名称も以前は当用漢字とよんでいた。その由来は戦後GHQの政策の中に、日本語は漢字が多すぎて憶えるのが大変で識字率が低く、そのために教育もままならないということで漢字廃止案まで出ていたらしい。そんな中、読み書きの試験を実施した。すると実際にはかなりの率で文字を使用できている実態がわかり、反対を主張していたひとに救われたと読んだ記憶がある。もちろん明治時代から漢字廃止、ローマ字化運動は続いておりこの機になくなる可能性もありえた。もしそうなっていたら韓国のハングルのように音だけで表現される社会になり別な文化に進んでいた可能性もあるのだ。私個人としては空恐ろしく感じる。当用漢字というのはいずれ漢字は整理し、または無くする方向での中で面使する漢字という意味で制定したものと聞いている。それがいつしか常用漢字という概念に変わった理由は文部省も書いていないと私は思う。(正式な発表資料にあたっていないので間違っているかもしれない)その一番大きな理由は、その後の日本語ワープロの発達と普及にあったのでは思っている。時系列で並べると当用漢字から常用漢字に名称が変わったのは1981年。日本語ワープロが最初に発表されたのは1978年だが、それは何百万円もして、実際に普及しはじめたのは1980年代後半からだ。PC上で動くワープロソフトは1983年だが、「一太郎」が発売されたのは1985年。しかしまだまだPC上で普通に使用できる状態には遠く、ワープロ専用機が普及していった。その後自前でカラー表示、カラープリンターでDTPが行えるようになるのは1990年台なかば~後半頃からである。2000年以降はそれがどんどん高速に、そして安いコストでできるようになって個人にも普及していった。時系列でいうと実は日本語ワープロは後である。当用漢字から常用漢字に名称が変わりそれに伴い増え続ける漢字表の策定した時期には、この普及がまじかに押し寄せていると考えていた委員は少ないと思う。だから名称を変え、字数を増やす背景には別な意図を感じる。良かれと思い使命に感じている人たちがいるのだ。長い目で将来を考え方針を策定していくべきではないかと私は思う。しかしその後の改定には間違いなくこのようなPCの普及と特に最近のAI化がこの意図の後押しになっており、後戻りはもう不可能になっている

 このように簡単に打ち込み日本語が表現できるようになると、漢字が多いとか憶えられないとかいう意見はますます少なくなる一方である。最近のTVのクイズ番組でも漢字ばやりである。漢字検定△級とかを自慢する人も多い。見たことも聞いたこともない漢字にも由来があり解説されるとそれなりに面白くはあっても変な方向に向かっているようでならない。私個人は小学生の時から漢字の書き取りはほぼ㍘に近く漢字は読めればよいものと決め込んでいた。だから、ワープロが普及してくるまでは日本語ローマ字化運動にシンパシーさえよせてさえいた。だが今の漢字の扱い方は本当に正しい方向に向いているだろうか。漢字に限らずスマホの普及は絵文字の普及が著しく、私に来るメールでもビジネス以外では絵文字がついてくる。知らない外国語にさえ思え感動はおぼえない。インスタやTwitterの反応ではわけのわからないものが多い。世の変化につれ器具やアプリの変化につれ使用の仕方や接し方も変わっていくのだろうが、いい加減やさしくスローな変化になっていってほしいと願うものである。その原動力は経済活動に基づいているので、否定するわにはいかないのだが‥‥。

 関連することで日本語の表現についても一言。いつの時代でもあったのだろうけど、略し方にもほどがあるのではないだろうか。例として「はんぱない」という表現。アナウンサーですら平気で言っている。すでにもとの言い方を知らない人も多いのではないだろうか。最近は英語の動詞や形容詞に「~る」や「~い」を付けた日本語も言われているらしい。私がはじめて東京に来た時に隣に住むおばさんが子供に「あぶい」と言っていたのを思い出す。どうもそれがひっかかり教養のないひとだなと思ってしまったりしたものだ。「むずい」「きもい」「エモい」「エロい」も同様。ついでに「ださい」「やばい」も「ださくね-!」の言い方はいかがなものか。でもこれは世界的傾向でアメリカでも台湾でも若い人の言っている言葉の変化は激しく変化していて今の表現を知らないとなかなか本音の会話にならない所があるらしい。

 釈迦に説法ではあるが、私ははっきりいって漢字はせいぜい常用漢字(2136字)レベルにおさめるべきだと主張したい。JISの第一水準で2965字、第二水準が3390字、合わせると約6355字になる。今はPCが主流でアドビ社のAdobe-Japanが標準となっていて1-4で15444字、6まで入れると23058字となる。こんな整理の方法はよいとして現実に使用する必要は無いに等しい。主な汎用書体では4まで網羅している。通常、1000字位で90%、3000字位あれば99%以上表現できるといわれている。歴史や専門分野では必要な漢字もあるだろう。でも我々が日常使用する漢字は多くてもこの範囲で良いのではないだろうか。

 その一番の障害になっているものが人名漢字である。苗字の多さは世界一で、日本には約13万以上あると言われている。私の苗字も少ないが日本の苗字5000傑という判子ケースには入っている。NHKの日本の名前という番組を見ていると更に珍しい苗字と由来が紹介される。斉藤さんや渡辺、渡部さんは多いが漢字の種類の多さは特別である。その理由は簡単である。いくつかを除けば実際には特に戦前が多いが役場での受付時や書き写し時に手書きだったところから異字体ができてしまったものが圧倒的に多い。これを後生大事にする必要があるだろうか。それぞれの家系や事情から、こんな乱暴なことをいうとお叱りどころか反感をかってしまいそうだが、もう少し整理しても良いのではないだろうか。又、名前のほうだがこれは最近とくに読めない漢字をあてるものが流行しているといっても過言ではない。親の勝手で付けられた子供のほうも、改名したくなる子もいるのではないかと疑いたくなる。韓国でも事情は違うが昔は漢字で現すことが可能な名前が多かったようだが、現在では単に音(オン)のよさで付けてる名前が多いそうだ。全く反対の方向にみえて実は同じことのように思える。音が先にきてそれにむりやり漢字をあてはめて更にややこしくしているだけだ。どうしても変わっていて音の良い名前にしたかったらひらがなかカタカナにすればいい。名前に関してはある程度は人間の理性と良識に基づいた感覚があれば制限された漢字の範囲で付けられていけると私は期待している。でも夏目漱石や森鴎外などという歴史に名の残っている人の漢字はなかなか制限できないことになる。たぶんこの名前を語るとき以外には使われないと思う。やっかいな問題だ。

 次にやっかいなものが地名だ。例えば都道府県でもそれ以外にあまり使われない漢字として新潟、愛媛、岐阜、茨城などがある。主な都市でもある。とくに北海道や沖縄の地名には多い。上方から遠いほど、山奥などに多いのは必然であろう。もともと現地で呼ばれていた音に漢字をあてたものが多いことによっている。これらを明日から漢字を制限しますからカタカナにしましょうとは言えない。漢字のカタチが違うものも多い。その数が膨大にある。読みの種類もびっくりするようなものまで数知れない。このようなものを含めると膨大な数になってしまうのだ。

 中国では通常使用する漢字は3000から多くて4000字位だそうである。なんといっても毛沢東の文化大革命で簡体字を作って制定してしまったことで、昔の字は歴史上のものにしてしまった。文化破壊ではないかと当時私も思ったものだが、こういう革命でも無い限り簡単にするという方向への大きな変革はできないのが実情かもしれない。